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Intercession 2023/03/30 ボボボブログ 雑日記

  • 世界観の確実性がない、時間軸の連続性がない

  • オノヨーコってアーティストだったのか。。

  • Intercession 人のために祈ること

  • 道教の人とのやりとり

  • 正しい引き出しに入れる、ないなら作る。

Intercession

例のキリスト教の集まりで、今日はIntercessionなるものを紹介された。集会に集まっている人々が悩みや、祈ってもらいたい内容を共有して、代表者がそれらを神に祈る。

非常に、直感的に心地悪かった。

そもそも何かの解決を祈ることがあんまり自分の価値観に合わないのだけれど、その上他人に祈らせるというのが本当に、ぐえええってなった。

何か祈ってほしいことある?と聞かれ、無理やり捻り出したのが、同じく留学中の友達が吐露していた本人にはどうしようもない悩み。わざわざ僕には不可侵な問題を探すならロシアの停戦とか言っとけばよかったわとか思うのだけど。

もう一つ不服だったのが、他人に祈られる時の祈りの解像度の差。相手は、結局僕の自供内容から察して祈るしかないからしょうがないんだけど、そのニュアンス違うんよ、ってなる。

じゃあなんでintercessionなんてあるのか?って言われたら多分みんながみんなに悩みを公にするっていうプロセスで団体意識を強めるためだと思う。

話変わるけど、WIREDのカルト研究者が言ってたのが、カルトは基本的にリーダーが仕事をしないでも済むように優秀な参謀や実行犯を募る場合が多いということ。

思い出したのでメモしました。

あ、あと直感的に、人のために祈る、とだけ言うといいことっぽく聞こえるよね。でも実際はその限りではないと思っているよ。


道教との邂逅

とある授業で、幼少期に4年間道教の修行をしていたというベトナム人の生徒がいた。

授業内容が仏教関係になってきた時に、流石に専門的な知識が多すぎるということで外部講師が来てくれた。

授業終わりにその講師に質問がしたくて並んで待っていた際に、そのベトナム人の生徒と話したのが彼の背景を知ったきっかけだった。存在は認知していたけど、そんなに面白い背景があるとは、、

ということで何を質問するつもりだったの?と聞いたら、
「西洋の瞑想と、東洋の瞑想の違いってなんだと思いますか?」
ってきくつもりだったらしい。

彼は自信満々に身体をはたつかせながら言っていて、あ、この人は講師さんを試すつもりで聞くんだろうな、と察してしまった。実際、彼が質問する番になった時、その講師さんを否定していて、う、うわぁ、、ってなった。

ちなみに彼の引っ張ってきた回答は、
「東洋の瞑想は身体に意識を集中させる。西洋はいきなり精神に集中させようとする。これは良くない。」
というものだった。つらつらと説教のように語る様には同じ「東洋人」としてなんだか恥ずかしかった。。

ちなみに禅の瞑想と西洋の瞑想の違いは、目的意識をはっきりさせているか、というところにある気がします。

もちろん、禅の瞑想が、全く目的がないわけではなく、感情を正しく扱うための竈のようにあるため、みたいなある程度の尺度はあるんだろうけど、基本的には「ない」と言っていい、という認識です。

また今度彼と、その外部講師さんと3人で話す機会を作れたのでそれまでに禅と道教の開拓をしていこうと思います。。

うぇ

斎家リック

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