宗教の代わりに何をなすべきか?No.3 非宗教のヨガ禅のお勧め

個人的には、ヨガ禅をおすすめ。

ヨガは宗教ではないか、と言われるかも知れませんが、確かにそのとおりで、ヨガはヒンズー教のシヴァ神、ビシュヌ神を信仰する宗教と一体の行法と言えます。瞑想の中でその神と一体になることを至高の喜びとする行法体系が本家伝来のヨガの教えです。
あるいは、古代インドのサーンキャ哲学に基づいて、物質的原理としてのプラクリティの働きを止めて、精神的原理であるプルシャの独存で光り輝く状態になることを求めるものもあります。

しかし、そのようなものを求めることは、ヒンズー教の世界に没入するものであり、現実世界から遊離して、世捨て人のヨガ行者の世界に入るだけであり、はっきり言ってオススメはしません。下手にやると、オウム真理教のような邪道に転落しかねません。

世捨て人になろうなどと絶望する前に、人は誰でも現実世界の中に大切な人々が存在し、現実世界の中になすべきことがあるはずであり、世の中が苦しいなら、それはそれでその苦しみの状況を変えることが大切だと思うからです。

そこでヨガをオススメと言っても、あくまでも、心身の健康法、活力維持法、ホメオスタシス・安定性保持法として、自分の生活に役立つように、現代的に行うことをオススメするわけです。

ヨガの行法は、伝統ヒンズー教ヨガでは、「ヨガの八支」と言われる段階があって、心構えとしての禁戒及び勧戒、アーサナ(体位法・ポーズ)、プラナーヤマ(呼吸法)、ダラーナ(精神集中)、デイヤーナ(想念の拡張)、サマディ(三昧)となっています。

しかし、シヴァ神などとの一体性を実現することを求めるものでないので、最後は禅として行い、ただ座るだけ、と言うことで良いのではないでしょうか。最後の段階は、禅三昧です。
曹洞禅では「只管打坐」とか言われます。

既に、ヨガの体位法により、体の疲れや緊張がほぐれており、呼吸も整っており、精神も安定していて、素早く禅定に入ることができることは、間違い無いところです。

また、禅は仏教ではないか、と言われるかも知れませんが、禅は別にどの宗教でも構わないし、無宗教でも構わないものです。

そこで、無宗教としてのヨガと、無宗教としての禅の結合の道が出来てくるのです。そういうものをヨガ禅と呼んでいるわけです。




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