エリアス考、そして桜木みなと考

宝塚宙組「El Japón -イスパニアのサムライ-」の登場人物エリアスは、成金で強欲な父に嫌気がさし、家を飛び出し剣術学校へ、そこで剣で人を圧倒する喜びに目覚めた青年です。エリアスの父は息子に構いはしますが、それはどれも「俺の息子は俺の息子だからすごい」という態度であり、父は息子に自己を投影し、そらゆえの溺愛でしかないのです。エリアスはだからこそ父から逃れ、自らの力だけでのぼりつめることのできる剣の道に進むわけですが、人を傷つけることとなる剣を自尊心のために振るうエリアスは、この道を選んだことで、より「他者」を捉えることができなくなったとではないかと思います。

急にどうしたって話ですが私はこのエリアスが非常に好きでして、というかエリアスはありえないぐらいコミュニケーション不全なんですね。しかも話せないとか、人と向き合えないとかではなくて、相手が「うわっ」って思うことが察せられないでぐいぐいいってしまうタイプ。もう、身に覚えがありすぎるのですが……?めっちゃ喋ってんのに「何が言いたいの」って言われるのとか、インタビュー受けてる時の私そのものじゃん……。そうだよ、会話に慣れてない奴は、結論を言わずに、その結論を出した理由だけ急に話し出すから、聞き手はずっと「え?なんの話?」って顔になるんだよ。でも本人は「最後に結論を言えば、納得するはず!」って思って、変な空気になっても生き生きと最後まで話し続けてしまうんだ!!沁みる!傷口に沁みます!

エリアスの設定は、前述した通りてんこ盛りや状態なのですが、コミュニケーション不全がまじでずっと態度ににじみ出てて、これをこんなリアルにやられたら俺は死んでしまう……桜木さんやめて!!!死ぬ!!って何度か叫びました。設定が振り切ってる分、リアルなら誰か止めに入るやろっていうところまでコミュニケーションが暴走しており、しかも桜木さんが細部まで徹底的にコミュ不全を再現するので、「私もこのまま自分を改善しなかったらあんなひねくれお婆さんになるのでは……?」とかいう気持ちになりました。つら。つらいわエリアス。ほんまがんばろ?な?私もがんばるしさ。まず、全部話すこと決めてから、話しかけるのやめようか?相手が思ってもないこと言ったらすぐイラっとするのやめよう。会話ってのはキャッチボールらしいで、私もよく知らんのやけど……。俺の話を聞けって思うなら、まず結論を言おうな。ほら、相手も「なんの話だ?」って困っちゃうからな。俺も……俺もがんばるから……。まともな老後を迎えような……。

エリアスのこと見てたらほんとに桜木みなとさん(エリアス役のジェンヌさん)が心配になってきて、桜木さんが出ているトーク番組とかめっちゃ見たんですが、ひねくれなんてひとひらもなく、ただただ「人柄オブザイヤー!」って感じの純朴な人で、こんな、こんな人がエリアスやってんの?むしろ全国のエリアスにとって救いでは……?という謎の気持ちになりました。自分自身のこともよくわからず、他人もわかってくれず、全ての世界は欺瞞に満ちていてかといって、自分のことだけを愛せるかというとそうでもないし自分にも不満がある状態の全国エリアスにとって、それを完璧に演じる桜木さんってなんなの?っていう気持ちですよね……。菩薩なのか?

桜木さんが演じるエリアスは、本人の性格の悪さが「本質的なもの」「結果としてそうなったもの」の両面から描かれているので、エリアスが自らのみみっちさ(私は手を噛まれたエリアスが「俺の手を噛みやがった」でも「俺の右手を噛みやがった」でもなく、「俺の利き手を噛みやがった」と言うのが好きです。相手がいかに愚かなことをしたかをプレゼンすることに余念がないエリアス。)を自覚し、完全にへなへなになっているときが、ちゃんとかわいそうなんですね。人間はどこかしら性格が悪い人がほとんどだと私は思っていますが、性格が悪いことを悪だと捉えている人もこの世界にはとても多く、だからそれらは成敗されるべきという意識が社会に当たり前にあることがとても怖いと感じます。そのためにうわべで会話をしたり、当たり障りのないように相手が傷つきそうな指摘やアドバイスはあえてせずに放置したりするのかなと思う。そして性格の悪さには理由があり、その理由を踏まえれば許してやってもいい、という流れも怖いです。人間は、自分を中心にしか世界を観測できないので、修行を積んで悟りをひらいたぐらいの人でないと「利己的態度」をやめることはできないはず。だから性格の悪いキャラクターが、現実に打ちのめされたとき、その打ちのめされた姿が「ざまあみろ」になるのはつらくて、完全な「改心状態」になるのもホラーで、ただその姿が「かわいそう」であることはとても大切だと思うんです。エリアスは父親が父親なので捻くれるのもしょうがないのかなとは思いますが、自己愛と口下手もある程度は、もともと持っているものだとも思うし、話を聞いてくれる人が現れたって剣士として成長できたって、エリアスはエリアスだろうなあ〜ってめっちゃ思う。絶対失言しまくるぞ、あいつは。許されたら全てがチャラではないんですよ、叱られたら浄化して聖人になれるわけでないんです、エリアスはエリアスとしてこれからも生きるんだし、彼の人生は続いていくんです。そしてあのクライマックスは、その人生の中のターニングポイントであるはずなんです。だから、かわいそうさがあって、その性格のままで可愛げを見せた桜木さんは全国エリアスの菩薩です。もう泣いちゃうよ……。

そんなわけで私は「エリアスの人だ……」とずっとショー「アクアヴィーテ」でも桜木さんを見ていて、ずっと全力でキメつづける桜木さん(ショーの間エリアス桜木さんは、一瞬を全力で生きるかのごとく、全身全霊で男役を貫いて磨いてすごい)なんかもうほんとこの人は演じることが好きっていうか、覚悟を決めてんだな……って気持ちになり、演じるキャラクターに対して恐ろしく誠実で実直な桜木さんを応援したいなという気持ちでいっぱいになりました。あ、だんだん文章がふわふわしてきましたね。引き締めていきましょう!

私は兵庫出身なので、宝塚に対して違和感はほとんどないのです、吉本新喜劇より先に宝塚歌劇を知っていたし、男役という人たちがいることに驚いた記憶もないです。ただ、実際に宝塚を観ていると、ジェンヌさんは本当に意識的に「男役の自分」を設定しているんだなということがわかって、そのことには非常に今、興味があります。特に上級生になっていくと、その人自身の性格とは別で、「男役としての性格」がくっきり現れる気がして。それを発揮するのが宝塚のショーなのだろうなという認識です。それは決して当人自身の性格をそのまま「男性バージョン」にしているというわけでもなく、むしろ大ギャップパーティーって感じで、現実と差異がある人の方が多いです。あれはどうやって作られていくんだろうなあ、とよく思う。もちろん下地にはそのひとの性格をおいている人が多いんだろうけど、それをかっこいい男役として結実させるには、たぶん、「はまり役」や、得意なダンスや歌によって、自分の「男役像」を外から具体的にイメージできるようになる必要があるのでしょう。自己をどう捉えるか、というのは音楽学校入学したての10代には、だいぶ難問だと思います。しかもその自分を「男役像」に作り変えていくことは、単純な動きや表情の訓練だけでなく、自己認識の更新が必要で、たぶん想像しているより難しいし、メンタルを強く持たないとたぶん無理ですよね、だってただ「男役」を作るんじゃなくて、その「男役」のかっこよさを追求しなくちゃならんのやで?

かっこつけることを否定的に捉える現代の価値観は、私は宝塚関係なく嫌な文化だなと思います。かっこつけることは人間が良い姿勢で立つこと、誰が見てなくても筋を通すこと、自分を信じること、他者を信じることにつながっています。昔はかっこいいテレビやアニメを見てめっちゃ真似したし、「かっこよくなれる」ことのカタルシスが好きだったはずなのに、気づいたら「身の程を知ってます」感を出すほうが無難というふうになってしまって、本当にそのことに怨念を抱いている。虚勢をはるのが否定されるのはわかります、でも、自分を律すること、高みを目指すことさえも同じ理屈で否定するのは本当にやめて。美しさは苦しいしでもとても清々しいのは事実ですよ、美しくあろうとする人はだから絶対にそのことで否定されるべきではないんです。そのことを本当に忘れてしまいそうになるんですが、宝塚を観ていると全部全部元に戻って、そうだね、まっすぐ生きようね!って思う。それは宝塚の人たちが、自己を見つめ、それでいて自己を再構築するように「男役」の自分を作り上げ、その中で美しくあろうとするからこそだと思う。「気づいたらかっこよくなってしまった」みたいな人は一人もいないんです。生まれつき男役の人なんて一人もいないんです。そのことの意味がわかりますか?彼女たちが貫くものが、彼女たちが乗り越えたものが、わかるから、もう正直に、私も美しくあろうと思えるんです。

私は宝塚を観てから宝塚演出家という仕事に興味マックスですが、これは、宝塚の演出家は、舞台だけでなく、なによりジェンヌさんの「男役像」の完成を手伝い、加担し、作り上げるひとだと思うからです。十代だったジェンヌさんたちがひとりで自己をみつめ、自分がめざすべき「男役」を早々に具体的に設定できることはたぶんあまりなくて、彼女たちが「男役」としての自分を見つけるきっかけを道しるべのように度々与えるのも宝塚演出家の仕事なのだろうと思います。

そして。桜木さんのショーにおける男役像は、「桜木さん」そのものが下地にあるって感じがあまりなくて、本当に純粋に「ぼくの思う最高にかっこいい男役!」であり、そのど真ん中すぎる設定に、マジの本気で挑み続けている桜木さんってなんなの?我欲がないの?って心配になります……だって芸名も横浜の地名じゃん……10代で芸名決めるときにここまで軽やかに決めるって相当心が健康でないとできないでしょ……。(俺の筆名と比べないでください。)ほんと、エリアスと真逆で自己への執着がないんだなあと思った。劇団自体がスターシステムで、演者個人のキャラクターが魅力として考えられがちな環境で、しかも若いうちから始めるというのもあって、どこかしら本人のキャラクターが男役像の下地となっているジェンヌさんたちの中で(そういうジェンヌさんも勿論好きです)、桜木さんのこの我のなさはすごい珍しいんじゃないかな……中小劇場系の劇団の演者さんに時々いるタイプだなあってなんとなく思いました。私はそういう演者さん、総じて大好きなんですよね……。プロ意識が半端ないタイプ……。

そういうひとが男役をやる際に「かっこよさに振り切るぞ」ってなることはすごく潔くて、男役や宝塚という場に誠実で、素直で、見ていて泣けてきてしまいます。宝塚という場を演者として楽しんでいるんだな、と思う。余談なんですけど、知人の慈悲チケットで非常に前の席に座らせていただいたことがあり、その日は貸切公演で幕後に出演者が挨拶をする時間があったのですが、真風さんがお話しされている間私が桜木さんを「エリアスだ……」ってガン見してたら、桜木さんが端っこの席なのにこっちを急に向いて、ガン見し返してきて、えっ、ちょっと待って、本気?ってなったんですけど、その時間は他の演者さん全員客席奥の方を見ている時間だったので、「これは……ガン見対決だな?負けてらんねえ……」って思ってしまって(なんで)、ガン見し返し続けた結果マジで10秒ぐらい見つめあってしまって、目はそらさなかったけど、心がバキバキに負けてしまいました。桜木さん本当になんなんですか?てか私がなかなか目を逸らさないから結構困ったのでは?ごめんなさい。照れるリアクションとかすればよかったんですけどコミュニケーション不全の人間は、表情でリアクションとかできないんです……。エリアスもどきが客席にいたと思ってもらえたらと思います。


というわけで長文、桜木みなと考でした……手紙にして送れよって話ですよね……うん……。


公式サイトhttps://www.kageki.hankyu.co.jp/sp/revue/2019/eljapon/index.html
大千穐楽おめでとうございました。