宙組「カジノロワイヤル」観劇日記

 宙組カジノロワイヤル。
 有名な作品を宝塚でやる時ほど「宝塚」という文脈で固有のキャラクターを演じることの面白さがあるというか。今回は007ですけれど、そのキャラクターが既に多くの期待を抱えた存在で、そういう存在って忠実に演じるだけでは足りなくて、それはものまねにしかならなくて、そのキャラクターが人を惹きつけたその瞬間の煌めきこそをなぞるべきで、見つめたその一瞬に弾ける花火のようでなければならず。そしてそれができるのが「スター」なんだろうなって思う。真風さんの退団公演としてぴったりの作品だったなぁ……って。すでにその存在が華のある既存キャラクターを舞台化するのって、それをより「今その瞬間」の華にする必要があって、宝塚らしい作品だなぁとも思った。

 桜木さんのミシェルの、特にデモのシーンの歌がとてもよくて、あの歌で全てがわかるような気がした。ミシェルは展開的にはとても考えが浅くて愛嬌はあるけど……という人物だけれど、コミカルな人物で終わらないというか、彼自身が見ていた夢ははっきりとデモのシーンにあって、ある意味では心がまっすぐで目指したものも間違ってなかったはずなのに、それをそのまま貫くことができなかった人の物悲しさがその後の展開にはずっとあって、でも、ミシェルはそこでへこたれていないのが、愚かさではなくて明るさとして見えているのがよかった。なんかちょっと、なんだろ、全然設定もキャラも違うんですけどチェンソーマンのデンジみたいなああいう……だめなとこたくさんあるけど、でもダメなとこも込みで人間じゃないか!と思える底抜けの明るさとそこがただの浅さじゃない人間臭さがあっていいなぁって。愚かさやみっともなさってコミカルに消費しすぎると、人間的ではなくてキャラクターの設定っぽさが強くなるのに、桜木さんはそうなってなくてそれがミシェルの面白さだなぁと思う。どんなにコミカルな印象で終わっても、最初のあのデモのシーンのミシェルの輝きは間違いではなかったと思えるし、そこに矛盾を感じない。ああいうふうにお芝居できる人ってすごいなぁ。
 正義や心根の明るさだけでは世界を変えることができない、詰めが甘ければ簡単に悪人に利用されるしそれぐらい世界は終わっているんだ、とミシェルを通じて感じることができる。だからこそ、スパイという暗躍する存在の「ヒーロー性」が強調されていくんだろうな。表舞台に立って演説する、未来を夢見る青年より、暗躍する男こそがヒーローという、これはそういう話だ。(この物語では007はかなり清らかな正義として描かれてるけど。)まっすぐで純粋でたとえどこか詰めが甘くてもへこたれないようなそんなミシェルは本当なら物語の主役であるはずなのに、彼から恋人は去り、彼ではなく別の男が世界の危機を密かに救う。桜木さんが演じるミシェルのデモのあのシーンの力強さは、何か根拠があるわけではなくて、ただただ前を向いているだけで、でもそのパワーがはっきりと「ポジティブなヒーロー」のものであるからこそ、彼が世界を救えないという事実がスパイの必要性を浮き彫りにするのかなぁと思った。そしてそういうヒーロー性の強さは、歌そのものの力によって表現されているのがすごくミュージカルで、素敵だった。底抜けにいい人で、詰めがあまくて、世界を信頼しすぎている姿は、それでも悪いことではないはずで、そういう人が世界を救うのが定石じゃん?と思う。そこに人は夢を見てるし、人が普通信じてる「ヒーロー」ってあの瞬間のミシェルが持っているものだ。でも、実際の世界はそんなものじゃ変わらなくて……。そのことがすこしも惨めに見えないのは、夢を信じていたい人の心に少しも辛さを残さずに去っていくのが、ミシェルという人を演じる桜木さんの力だなぁって思う。ミュージカルが面白いのは、表情やセリフじゃない部分で描けてしまうものがあるから。この歌のシーンの桜木さんは本当に、ミシェルという人を通じて「スパイが主役の物語」を、普通にキラキラと人が信じている「愛は世界を救う」みたいな夢を否定しないまま、力強く支えているなぁって感じた。ミシェルの持つ無垢さによるヒーロー性が、ただの愚かさや浅さに見えないから、このお話は宝塚らしいんだろうなと思います。夢を信じた若者が惨めに失敗するのなんて悲しすぎるのに、そこで不思議なことに夢が残ってる。それはミシェルが「愚かな若者」というキャラクターじゃなくて人間として描かれているからなのかなぁ。

 話は変わるのですが95期の文化祭を見てたら桜路さんと桜木さんが二人で歌ってて、嘘だーーーーーーーー!!!!!!!!になって脳が終わって大変だった。しかも好きなボンビアンパリだった。超かわいかったです。

 大劇場の千秋楽の配信は見れなかったので大楽の配信を楽しみにしてます。