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ミュージカル「アナスタシア」感想



(注 ネタバレしてます)

 あ、あ、アナスタシアを見たぞー!!!!!
何年越し!?夢が叶いました!!やった〜!本当にもうずっとスケジュールが合わず、行けそうで行けないの繰り返しを公演期間中やりつづけ、もはや無理矢理なんとかしまして先日ギリギリで滑り込みました。幸せです。幸せ。そう、幸せを手に入れに私は劇場に行くのよ!

 ミュージカルをそもそも久しぶりに(私比)見たため全てが沁み、最初はそのことにまずぼろぼろと泣いていたのですが、あまりにもずっとずっと最高にいいのでどんどん顔が真顔になり、涙がそれどころじゃねぇ!と引っ込んで瞳孔開きっぱなし3時間です。ありがとうアナスタシア。すごい好きだった。好きだぁー!!!というかスケジュールが合ったなら役代わりも見たかったな、もうあまりにもすばらしく……いやお話はよーく知ってたんだけども(宙組版をたくさんみたので)でもかなり宝塚のと印象が違った(どっちも好き、私はそもそもミュージカルアナスタシアのファン)。印象が違うというのがまた面白かったなぁ、すごくよかったぁ……というか円盤出ますか……出て……できれば私が見た回の……(無茶を言うんじゃないよ)。

 少し前にネットか何かで見たJRの広告で魔女の宅急便をやっている葵わかなさんを見て、あまりのかわいさというか、そのかわいさの物語性の高さにドキドキした。葵さんはキキの愛されて育ってきた無邪気さと未来のある感じがぴったりでそれが本当に素敵だなぁと思っていたんです。だからアーニャの葵さんを見るのがすごく楽しみだった。(見たのは葵わかなさんアーニャ回でした)
 アナスタシアは物語自体、ヒロインが運命を切り開くという形のものでもあるけど、ただどこか御伽話的でもあり、実はお姫様ですというその「生まれ」も夢見ても普通の子は手に入らないものよなぁ、とはどうしても思う。もちろんその「幸運」ではなく真の愛を選ぶ、という結末は現代の形だなぁとも思うんだけど。ディミトリがいうようにあの時代、狡賢くなければ生きていけなかった子供は多くいて、強くもなくずるくもなれず、実際飢えて死んでしまった子供はどれほどいたんだろうと考えたりすると、アーニャの、王女かもしれない、はやっぱりとんでもないラッキーではある。でも同時にアーニャは少しもそのラッキーで「幸せ」を得られず、ずっと苦しんで生きてきた。アーニャとディミトリとグレヴがパリの劇場で揃った時に、貴族たちがいる中で彼らは「生き延びてきた平民たち」という感じがすごくして、ディミトリは詐欺師に、グレヴは職務に心血を注ぐことであの時代の荒波を生き抜いたけど、そこに(血筋は違うはずの)アーニャも並んで見えるのがすごくいいなぁと思った。葵さんのアーニャは、とても等身大に自分の運命を生き抜いてて、多分こんなことがなかったら道路の掃除をしてコツコツ生きていく人なのだろうという感じがすごくする。何としても生き抜こうとするしぶとさとひたむきさ、市民らしさにも見えるそのまっすぐさにグレヴは理想的な「市民」の姿をまず見つけ、そしてその奥にある強さに惹かれたのだろうと思う。
 劇場の貴族たちの中で、葵さんのアーニャも王族のはずなのに、着飾っても魂の部分ではディミトリとグレヴの側の子なんだなというのが、はっきりとわかる、というのが物語をガシッと支えていて好きだった。それでいてプリンセスの可能性をすごく感じるきらめきがある、不思議な存在感。このどちらもがあるから、アーニャという人物の強さに愛嬌が生まれるのかなぁ。ディミトリとヴラドが彼女のダイヤ(を隠していたという事実)に対して見せる反応も、「女の子じゃなかったら」とディミトリはいうけど、でも「アーニャじゃなかったら」なんだろうな、って見ててわかる。愛されているんだよな、アーニャ。そして愛されることもそりゃそうだねってわかるものが彼女の佇まいにはある。ただの恋とかそういうのではなく。彼女のひたむきさは「仲間」としての輝きになってディミトリとヴラドに肩を並べている。ディミトリは幼い頃の自分をネズミ(ドブネズミだっけ?)って言っていたけど、ネズミに例えられるような、どうやっても生き抜こうとするしぶとさがディミトリ・グレヴ、そしてアーニャの3人のたたずまいにはあり、劇場のシーンでそれを感じた。この3人の並列な感じが、物語に冒険っぽさを足しているし、たぶん愛されている感じはここから生まれているのだ。アーニャが単なるお姫様を演じさせられている道具ではなく、二人の仲間として愛されていることがその強さと可愛らしさで表れているのが好きだった。
 彼女がヒロインなのはその生まれによるものではなく、彼女の強さによるものなんだ。そしてそれが物語の芯を支えている。クライマックスのシーンでグレヴに「あなたを傷つけるつもりはない」と言うのも、プリンセスではなくて、一人のアーニャとしての言葉で、アナスタシアだから言えることなのではなく、アーニャだから言える言葉。グレヴは最初からその強さがわかったから、レニングラードで彼女の姿を探し続けたのだろう。グレヴはずっとアーニャを見ていた人だ、そこにアナスタシアの幻を見るのではなく、ずっとアーニャを見ていて、その強さの美しさを理解していて、そして理解しているからこそ、彼女がアナスタシアであるかもしれないと信じることができる。

 グレヴ……。(私が見た回は海宝さんのグレヴでした。)グレヴとアーニャはよく似ている、とそういえば宝塚版を見た時も書いた気がする。家族の誇りを守るために厳格であり続けるグレヴは、自分の人生を取り戻す最後であったとは思うけど、でもあの最後のアーニャの「あなたを傷つけるつもりはない」が、グレヴ自身の誇りを守ったようにも思う。あの瞬間、グレヴは一人では、自分が傷ついているとは気づかないと思う、むしろ自分は父を裏切った、と捉えるだろうし、悲しむどころか自分を責めてしまうだろう。そこで一番に信じている人から「傷ついている」んだと言われることの尊さがこの場面にはあって、今回、私はここが本当に本当に大好きなシーンになった。ここから、グレヴがアーニャに「アナスタシアだと信じている」って伝えるところがとてもよかった。傷つけるつもりはないっていわれたからこそ、グレヴはここで、グレヴとしての言葉を述べることができたのではないか。あの「信じている」はグレヴが自分一人の意思で、立場など関係なく、父など関係なく、言葉を述べることができた(もしかしたら初めての)瞬間だと思う。(レニングラードで忠告するシーンでは、グレヴとしてと、ボリシェビキとしての忠告を分けて伝えるシーンがあって、これがすごくたった一度の「信じている」と対比になっているなぁって思ったりもする。)
 己が傷ついていること、そして己をおざなりにしていることに無自覚な男性の悲しさが海宝さんのグレヴにはあって、それがまたヴラドのいるディミトリとの対比にもなっていてよかったなぁ。グレヴ、孤独すぎる。アーニャがいてよかったね、あのときに出会って、アーニャに認知されててよかったね……。あの日がなければ突然現れた刺客としてアーニャを裁いて、何も救いもないまま終わるところだった。もしかしたら運命の女神が1番微笑んだのって、グレヴの前でアーニャが大きな音に驚いて叫んだことなのかもしれない。

 ディミトリ(内海さん)は少年性とか、弱さとか、それこそグレヴと同じでいろんなものがまだ未熟で、でも一人で生きていく必要があって大人に急いでなった人なんだろうなと思う。でもそれをヴラド(石川さん)が理解しているというか……、理解者という立ち位置でいるのがすごく好きな組み合わせだった。グレヴにはないものだよ。ディミトリ見るたびに、グレヴが気の毒になる構図だよこれは。ディミトリって、宝塚でもそうだったけど、こちらでもやはりどこか幼いのですね。幼くてピュアで、でも詐欺師で。このバランスがこちらだと少年性に見えるのが面白かった(宝塚はやはりトップスターがやるので王子様的な見え方をする)。この少年性に本人が1番振り回されて苦しむので、それをわかってて悪友みたいに見つめてるヴラドがすごくいいし、ヴラドも、ディミトリが未熟だとわかっているからこそ「ロマンス」を気にかけるのだろうなと思う。石川さんのヴラド、達観してるからこそかわいく見えるのがまた素敵だ。ヴラドは役作りで本当に印象が変わるキャラクターですね。ディミトリがパリに来て喜んでいるのを「あんなに喜んでるあいつは初めて見た」ってとこ、すごく好きだった。リリーがヴラドを気にいるのわかってしまう。リリーちゃんはサイコーの女性だし、リリーはヴラドに夢中になるのも……わかる……。私はヴラドとリリーのこの組み合わせが本当に好きだ。

 今回本当に!朝海さんのリリーが可愛すぎて!おかしくなるかと思いました!!!ヴラド、わかる!リリーちゃんは最高の女性!わかる!!!!本当に好き!!!になり……頭がそれでいっぱいになってしまった2幕……。ネヴァクラブの時間、私の脳は常に沸騰してました、はぁー、かっこよくてかわいくて、エネルギー2千億!ロシアの貴族のしぶとさが爆発してて、生命力!どんなに!新政府がなんか言っても!貴族はパリで遊ぶ!飲む!騒ぐ!あの場面の貴族のどうしようもなさと表裏一体の、元々あったであろう「ロシア帝国」のパワーと、時代が変わろうと生き抜く人間たちのエネルギーと血潮がじゃんじゃんにショーとして現れるあの場面の痛快さ……。なんてこと……良すぎる……。そもそも、贅沢に生きて上流階級で好きにしてた彼女たちは、しがらみのない中を跳ね回っていたピンポン玉のような存在で、そんなのやることなすことの規模が違うし、「エネルギッシュ」のレベルが違う。だからリリーがきらめけばきらめくほどロシア帝国の過去の貴族の姿が見えて来るし、そりゃグレヴは軽蔑の眼差しを向けるよ……と思いながらも人間がしぶといという事実を浴びるのってやっぱり何よりも元気が出るな〜!って思ってしまうな。あの場面にサイコー!ってなってしまえばなってしまうほど、グレヴがどれほど縛られて「個人として生きていない」かがわかる。もちろん、グレヴがロマノフは何も返してくれなかった!って怒るのもまともな指摘だし、貴族たちは結局逃げ切ってパリでどんちゃん騒ぎは、どんなに彼らが憂いてもやっぱり飢えている平民からすれば最悪なんだけど、でもそうやって「平民」「貴族」という枠組みで話しても、そこに個人はなく、その唾棄すべきはずの「貴族」の個人として煌めくしぶとさと、生命力が、まじで最高、最高です、ネヴァクラブのリリー……。
 そして麻実さんの皇太后陛下……。ねえ?!そんな!そんなぁ……。ねぇ!?!皇太后陛下のアナスタシアみつけたあとのやわらかい表情がお美しくすぎて……。アーニャがアナスタシアだと分かった後の、遅すぎた、どうしてこんなに遅くなったののやり取りの時の表情があまりにもすてきで、喜びと絶望が混ざり合った、一度全てを諦めた人が幸せを噛み締めきれないあの表情がとてもよく、そこからの撮影時間の心底幸せそうな皇太后陛下だから。祖母も、一人の人間で、皇太后も一人の人間で、それをあんなにも研がれた誇り高さの中に見出せることにドキドキしていた。皇太后の弱さが一番出ていたのはアーニャに対する冷たいシーンだったんだろうけど、遅すぎたと伝えているシーンにそれまでの冷たさのカードな全てひっくり返されて「弱さ」として見えるところが素晴らしかったし、そこに飛び込むアーニャのまっすぐさ、若さ、希望が、本当にいい。麻実さんと朝海さんが並んでやり取りしてるところが、またかわいくて素敵だったなぁ。というかアナスタシア見てる間ずっとこの調子で、出てくる人たちにそのたびにどんどんときめいてしまい、好きな人が毎秒増える感じでたまらなくて、メロメロなまま終わった。もう本当に幸せ、こんなハッピーなことがあっていいのか……。結末も美しく、鮮やかで。うれしいです。人生に明るい光がさしこむような、エンタメはそんな素晴らしさと強さがある。見れてよかった〜。本当に!

という日記です。どこに書けばいいかわからなかったからとりあえずここに書きます。