宙組「HiGH&LOW」新人公演 感想


 宙組ハイロー新人公演。ハイロー本公演のnote書く前に新公の話をしてしまう……。(本公演の感想はできたらハイローをもう一回全編見直してから書きたくて……だってRUN THIS TOWN……)

 とにかくハイロー新人公演の話をします。作品そのものもそうなんですけど、こんなに「未来」が見える感じがするの新鮮でした。作品がハイロー本編の前日譚であることも関係するのかなと思います。なんだかすごくロックバンドのデビューアルバムみたいだった!ナンバーガールのスクールガールバイバイみたいだなぁ……って思って……見ていました……あの荒削りででもあの時のあの瞬間の彼らの疾走感そのものが体に降りてくる感じ。新人公演だから荒削りだし、そこにある良さは本公演のものとはとは全く方向性が違うんだけど、今作品がそもそも「まとまり」より「速さ」というか「勢い」を見せるためにたぶん作られていて(その場で観劇することでしか味わえない面白さがすごいあると思います。これは新公の話だけでなく、本編自体がそうだと思った。映像的なお芝居より、遊園地のアトラクションに近い舞台だと思います。)その質感が新人公演らしさにピタ!と合っている感じがしました。演じる人のエネルギーと青春が、役の起爆剤になってる、なによりもそれがよくわかる、伝わってくる、そんな新人公演。本公演のハイローもとても好きなんだけど、それとはまた違う「新人公演でしか見られないハイロー」ですごくよかったです。

 私は真白悠希さんのお芝居というか役の作り込みがかなり好きで、それで来てたんですけど、リン、よかった……!本公演の苦邪組はチーム内の結束がちゃんとあって、6個目の勢力として現れるし、むしろSWORDよりもリーダーとして経験値があるリンの強者感が留依さんの演者さんとしての完成度の高さによって余すところなく描かれていたように思います。あの原作という濃い背景を持つSWORDと対立するチームとしてあんな存在感が出せるのすごいですよねぇ……。そして一方で新人公演の苦邪組は、言ってしまえば「チーム」でも「ファミリー」でもなかった。とてつもなく強くて狂っている常識の通じない人間たちが、SWORD地区を荒らしに来たのであり、その中心にいるリンは、リーダーだけれど「リーダー」として振る舞う感じがほぼなくて、むしろエゴイスティックで、「限度を知らない」人間そのものだった。新公の苦邪組は、SWORDにおける「チーム」とか「仲間」とかそういう美意識へのアンチテーゼみたいになっていた気がします。ていうかそれはハイローそのものへのアンチテーゼかもしれない。本公演の苦邪組も好きで、本公演の苦邪組はチームとしても強度があるからこそ、それぞれのチームとぶつかる時に鏡として機能している気がします。SWORDそれぞれの特徴をよりはっきり見せていくというか……。それこそ対峙するそれぞれのリーダーの強度を証明していくためのものだった。もしかしたら、本公演のSWORDと新人公演のSWORDでまた全然それぞれのチームの「チーム」感も違うからなのかもしれないです。本公演のSWORDには本公演の苦邪組がしっくりきて、新人公演のSWORDには新人公演の苦邪組がしっくりくる。たぶん、新人公演のSWORDはそれぞれの仲間たちが自分たちのリーダーを「リーダーにしてる」感じが強いのです。演じている本人たちの魅力ももちろんすごくあるんだけれど、チーム全体で「リーダー」というものを外からも作り出して、より輝かせてる感じがするんだなぁ。これこそ新公らしさなのかなってかんじがします。そしてだからこそエゴイスティックな新人公演のリンが、敵として一番良いバランスに見えるのかもしれない。

 などということを見た後に一気にメモっていました。あと、やっぱりスモーキーは面白い役だなぁと思いました。桜木さんのスモーキーのことはそのうち長々と書きますけど(ファンだからです)、桜木さんのスモーキーって、「まだ立っていられるのが不思議なくらいだ」って気持ちになるんです、見てて。ろうそくの火が消えそうで、だから懸命に火を足してより強く燃やそうとするんだけどそれによってろうそくの減り自体が早くなるような……そんな、単なる儚さというより気力と本人の強さによって、より早く短くなっていく命を感じてしまう。大路さんのスモーキーは、逆にむしろ死を意識し続けたことで誰よりもそこに覚悟?いや、覚悟というよりは達観……?いや、そう思ってしまうのもこちらの勝手な解釈かも……となんだかすごく、掴みきれない気持ちになってしまうんです。その戸惑いこそが大路さんのスモーキーの「らしさ」である気がするというか……。死んでしまいそうなのに、私たちや彼の仲間が見ている「(迫り来る)スモーキーの死」と彼が見てる「死」は決定的に何かが違う。だから心配しても不安になっても、何かが彼にとっては的外れなんだろうな……違うんだろうな……って思わされるスモーキーだった。死が迫っている人独特の「躊躇のなさ」はどちらも一緒なんだけれど、そのスモーキーの命を削っていくのは誰なのか、という点がなんだか、かなり違う気がしました。スモーキーって結局自分の気持ちをあまり話さないので、そういう意味でお芝居がかなり空白を埋めていくのが面白いなと思います。そして「死」は個人的なものだから、どんなに周りが心配しても本当のところその人がどう思っているのかってわかりきれないところがあって、そのわからなさがスモーキーの「語らなさ」につながっている気もします。だからなんでもすべてわかりやすくする芝居にすれば良いわけでもないので、そこがスモーキーという役の面白さだなぁって思う。大路さんのスモーキー見て色々新たに考えてしまったから、桜木さんのスモーキー、早くもう一度見たいなぁ、と思います。次の予定は東宝だ!それまでに本公演の感想をまとめたいな。