無観客考

宝塚雪組千秋楽、無観客になったとしてもテレビ中継はするという決定に劇団の強い意思を感じながらも、誰もいない劇場で演じるジェンヌさんのことを思うと息が苦しくなってしまった。舞台に立つ人がどれほど客席からの視線を糧として、その瞬間、輝くのか。舞台の人にとって、視線って、そこで生きるための酸素のようなものにも思うから。

私は舞台に立つような仕事はしていないけど、読む人の存在を感じ取れなかったから、こんなにも生々しく言葉をリアルタイムで捉えてはいられなかったと思う。感覚が研ぎ澄まされ、自分じゃなくなるような瞬間。何かを作る時、それを受け取る人がいるということは、自らの理想や完成を超えたところに手を伸ばすきっかけになることがある。舞台の人はお客さんの存在をとても大切にしている人が多いけれど、それは応援してくれるから、というだけでなくて、舞台を完成させる仲間でもあるからじゃないかと最近はよく思う。舞台に立つ人は、稽古とこれまで自分が培ってきたものの結晶として、その場に存在している。自分にとっての理想、目指してきたもの、それらを追いかけるようにして踊り、歌う。でも、自分が自分の理想を見つめるのと同じくして、その劇場では、客席から自分を見ている瞳がある。その人たちが見ている「自分」は、きっと、自分が作り出した「自分」ともまた少し違っていて、お客さんの喜びや希望や理想や、そういう熱のようなものが混ざった、別の像がそこにはずれて現れているはず。演じるキャラクターへの思い入れや、共感や、それからファンとしての感情や。見ている人の中にも、その人にしか見えない演者の姿があり、それらがあるからこそ、演者は、自分が見ている理想のその先に、ふと繋がる瞬間があるのではないか。期待されるもの、望まれるもの、そして自分自身に向けられた喜びや愛情が、自分の知らない自分を呼び起こす。そうして、舞台は、その瞬間にしか見えないものを手に入れる。完成しておしまいじゃない。それなら、何回も同じ演目をする必要はない。お客さんがやってきて、お客さんとともにその場を作り上げることで、完成を飛び越えることがある。きっと、そのために舞台という場はあるのだと思う。

これは、ファンだからそうであってほしいと願っているというよりは、自分がものを書くときに思うことが、これだから、というのが近い。自分自身だけじゃ自分自身の完成のその向こうには行けなくて、何かが呼んでくれなきゃ行けないところがある。よく、舞台の途中で鳴る携帯の音は、その舞台の完成を損なう、という話があるけれど、完成を損なうと同時に、「奇跡を捕まえ損なう」という意味で、これはとても罪が深いと思う。舞台という場は完成のための場ではない。舞台は、完成を超えることをいつも、願っていると思う。
誰よりも、そこに立つ人が。

自分が自分を超える瞬間って、作る行為の喜びなんじゃないかって私は思うのだけれど、他の人はどうなんだろうな。理想を作るだけなら、それが頭の中にある時が一番いいんではないかとか思うこともあるし、理想をなぞってもそれはただ「なぞった」だけではと思うこともある。理想よりも意味不明なところに自分が行けてしまったときに、作り手としては楽しさを感じる。それが、見る人にとっても喜ばしいのかはわからないけれど、でもやる側としては、誰よりも自分が自分に驚いていたいと思う。それは、見る人を驚かす仕事を、しているからこそだ。

そんなわけで、とても心配になってしまった。英断だとは思う、どうしようもない状況だし、千秋楽に退団者に階段降りをさせたい、というそのことを優先するなら、この結論になるんだろう。私はその劇団の意思を支持したいし、素晴らしいと思っている。それを中継で見せてもらえることはなによりありがたい。でも、心配にはなる。彼女たちの最後のワンスの舞台が、誰もいない客席を前にして行われると思うと、その無念さについて、どうしても考える。舞台に立つ彼女たちの喜びが、できる限り損なわれませんように、と願ってやまない。表現する人にとっての「無観客」ってどれほど辛いだろうか。きっとそれは、想像しても、しきれない、多分少しもわかることができない。舞台で、リアルタイムに自らが、磨かれていく瞬間を知っている人じゃないとわからない。そのことを喜びとして受け取って、舞台人として生きてきている人たちじゃないとわからない。舞台に立つことを、大変だろうけど、苦しいこともたくさんだろうけれど、とても「嬉しい!」と全身で感じ取って、その場に立っているジェンヌさんたちが好きです。そのエネルギーがなにより、美しいです。舞台は、お客さんの視線によって、その瞬間にしかありえないナマモノになる。それはすごいことだ、そうして恐ろしいことだ、でもその瞬間を心から楽しいと感じている姿に、胸を打たれる。美しいと思う。そう思えるところまでにかけられた時間や努力や苦しさについて、想像するよりも先、直感で、肌や心臓が理解してしまう。彼女たち。そこにいること、あることが、エネルギーそのものに変わっていく。どうか、そんな瞬間が彼女たちに、この千秋楽にも訪れますように。彼女たちにとって、ただただ、楽しい舞台でありますようにと、願うことしかできません。


宝塚歌劇 雪組東京宝塚劇場公演『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』
千秋楽ライブ中継の中止ならびに
「TAKARAZUKA SKY STAGE」における生放送の実施について
https://www.tca-pictures.net/liveviewing/




追記2(03.21)

無観客は回避されそうです。よかった…!


追記

最近は宝塚のことも明るいニュースがなくて、珠城さんのことでショックを受けた数日後にこのお知らせで色々考えてしまった。(珠城さんのことはまだ舞台をちゃんと拝見できていないので、ツイッターとかで触れるのもなと思って黙っていました。舞台を見て、それからちゃんと書きたいです、舞台を観たい!!)