アクアヴィーテ考

人間が快楽に感じるレベルでの美しさがあるのだということを心底信じている演出だと思う。歌詞からして、ストレートのストレートのストレートをやると真空が生まれる、って感じのパワーワードの連続で(ツイッターでも書きましたね)、強すぎる……筋肉が違う……って頭を抱えてしまいます。それは一方で、その言葉を歌うタカラジェンヌたちに求められる美しさのレベルを引き上げることでもある。かっこよさをかっこよさとかっこよさで煮込んでかっこよさの結晶を作り上げるような場に生身で立つという無謀さよ。それをやり遂げ、むしろ、その舞台の要として存在する彼女たちに圧倒される。

清く正しく美しく、は宝塚音楽学校の校訓であるが、きらびやかな演出の行き渡った舞台においてそれは「清く正しく美しく、あれ。必ずに。」という大きな抗えない力として現れ、彼女たちはそれに応え続けている。アスリートに近いのではないか、と思う。求められるものに答え続けた先に、自分の限界や他者からの期待を超えた、別の何かに到達することがあるのだろう。それを観客は目撃するのだ。だから宝塚の美しさにはそれだけで感動があるし、美しさに圧倒されるとき、それはただ屈するのではなく、何か励まされるような心地、何かを与えてもらえた心地がする。彼女たちは、そこに立つだけでも無限のエネルギーを必要とする、そういう舞台にいるのである。そのことを観劇中に気づかせることはない、ただ猛烈な栄養源を飲んだ時のように瞳のなかがチカチカして、瞬きをたくさんしてしまう。そうしてやっとこのパワーについて、想いを馳せる。彼女たちがあの舞台に立つというそのことについてやっと、考え始める。彼女たちが日々成し得ていることに、私はきっとなかなか気づけないのだけれど、でも彼女たちが賭けているそのエネルギーは、観劇後の心の軽さに必ず宿っているはずだ。

余談だけれど宝塚ではスターシステムが採用されている。演目によって出演者を変えるのではなく、出演者のために演目が選ばれる。それを私はあまり深く考えたことはなかったのだけれど、なるほど彼女たちが宝塚の舞台に立つ、というそのこと自体が大きな意味をなすとするならば、それは極めて自然な流れだろうと思った。宝塚は演目が作品というよりは、そこに立つ彼女たちが一人一人、作品となることを期待している。(なんちゅーことを強いるんだ、とは思うが、それに魅入るのも事実……。)だからこそ生で何度も見る人が多いのだろうな……。ときめくというより、最終的に、みんなすげーな!!という気持ちでいっぱいになり、たくさん美味しいもの食べて、好きなものに囲まれ健康に恵まれ、どうぞ幸せになってくれ……!みたいな気持ちでいっぱいになる。(しかしチケット取得の難易度がえげつなすぎませんかね。仕方ないんだなあ、と見ながら思いましたけれど。)彼女たちがみんな報われていくことを切に願う。これからも宝塚を応援していきます。

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宝塚歴はとてもとてもとても浅いのですが、このたび宝塚感想noteをつけることにいたしました。浅いからこそつけずにはいられなかったともいえます。宝塚ファンの友達もいないので、わかってないことのほうがおおいですし、きっとそんなことは語り尽くされているんだよみたいなことも堂々と書いてしまうと思います。すみません。あとマイペースな更新です。チケットが取れたものは観劇するスタイルですが、今ものすごく争奪戦に敗北しまくっているので、感想が止まったら「敗北したのだな…」と察してください。

できるかぎり宝塚に興味のない方も読める文章を目指します。(ただ正直いうと、少しでも興味が湧いたら、単純に映像や写真を検索するより、一回観てみる方が早いです。立ち見券なら当日にも出るので。地方公演も結構あります。)よろしくお願いいたします。


宝塚宙組『El Japón -イスパニアのサムライ-』『アクアヴィーテ!!』

https://kageki.hankyu.co.jp/sp/revue/2019/eljapon/index.html