私が出来ること

生い立ちについて知りたいと意見を頂いたので、書こうと思い筆をとる。
生い立ちというのはあんまりにも長いものだから私が形成されるまでを記していこう。

夏のある日、人々が目覚める前私は生まれたらしい。
本当はもっと早く産まれる予定だったことを母から預かった母子手帳でこの間初めて知った。予定日は私の誕生日よりも6日も早かった。
私以外に兄弟はいない。父親も母親も健在だ。
母方の祖父と父方の祖父をまだ思春期だった頃に亡くした。
その頃の話から始めよう。
両方とも死に際から近いところで見送る事が出来たのは奇跡だったと思う。そして二人が亡くなったタイミングは私の小学校を卒業して中学校へ。中学校を卒業して高校へ。という目出度い時と重なったのは、今でも何かの節目になると何かが起きてしまうことを恐れる理由になってしまった。
特に父方の祖父が無くなった時のことは忘れられない。
私はまだ中学校3年生で進路も決まり、残りの中学校生活を持て余していた。
病院を転々とし家にほとんど帰れなかった祖父を学校近くの病院へお見舞いに行った。
昔から霊感があり、病院という場所が酷く私には冷たく感じていたのもあってか、なかなか祖父の顔を見に行けなかったのは今でも後悔している。弱っていく姿を目の当たりにするのは今でもあの頃もとても辛い。言いようのない無力さと無慈悲さと孤独を感じてしまうから。

ある日、深夜近くに電話が鳴った。
何故かすぐにそれが祖父からだということにベルの鳴り方で全てが分かった。
病院に駆けつけ、眠るようにまだ息をしている祖父の手を握る苦手な父親がその時は頼もしく見えた。耳は聞こえますからね。と看護師さんが言うので、今まで叫べなかったあなたの名前を沢山、沢山呼んだ。
その声に答える間もなく反射で涙を流して、機械音が鳴る。
人が生まれてから人が死ぬまでどれほどの時間幸福であったのか私は分からないけれど、出来れば幸福であったなと思いながら終えられていれば幸せだとそう願わずには居られなかった。
葬儀は私の卒業式の後に執り行われ、胸に花を付けたセーラー姿で最後に立ち会った。
入れ替わり人々がお香をあげる中、空調も付いていない部屋でほんの少しの間だけ立ててあったろうそくの火が揺れた。
ああ、おじいちゃん。そこに居るのね。
私は中学校を卒業したよ。とひっそりと話しかけた。


この間帰省した時に母がぽつりと、おじいちゃん最後にねお好み焼きが食べたいって言ってたのよ。そしたらおばあちゃんがそんなものその身体で食べれないでしょって怒ったのね。ああ、あの時もう最後だったんだから食べさせてあげてたらよかったなあって今でも後悔してるのよ。と話している姿をみて、生きている間に私が大切にしている人にしてあげられることはないものかとより強く願うようになった。

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