チラシの裏

知人がnoteに転職したと聞いて、ささやかながらお祝いの会に参加させてもらった。元々同じ会社で働いていた身としては大変喜ばしい栄転だ。
積もる話を肴に酒も程よく進み、気が付くとなぜか僕がnoteに記事を書く話になってしまったので、とりあえず何かしら書いてみることにした。

とは言ったものの、やはり何の取り柄もないサラリーマンでしかない僕が公の場でこれといった記事も書けるはずがなく、帰り道あれやこれやと悩まされてしまったのだ。
大それたテーマを掲げて書き出すのも少し恥ずかしいので、まずは身近なエピソードをつらつらと書き殴ってみることにした。

さしあたり昨日の話をしようか。
祝いの会ということで海鮮レストランなるものに招待され、普段およそ口にすることのない珍魚たちを楽しんだ会の帰りのことだ。
ちょうど酒もよい感じで入っていたので、ネトゲなどをだらだらと小一時間会社の同僚と遊んでいた時のことだ。

腹がおかしいのだ。痛いとかそういう次元じゃなくて、エンジンのように動いているのだ。
たかだか四半世紀ほどしか生きていない短い人生だが、腹がエンジン駆動したことは今までなかった。何事かと心配したが、一過性の物だと思ってそこは無視することにした。
ましてやゲーム中である。ゲームを投げ出してトイレに駆け込もうものならそれこそ罵詈雑言を投げつけられても弁解できないのだ。
「このゲームが終わったらトイレに駆け込もう」そう決めた。

結論から言うと無理だった。
ドルンドルンと駆動するエンジンは鈍い痛みとともに輪をかけてひどくなり、かえるの合唱さながら僕の内側から訴えかけてくるのだった。「出せ、ここから早く出せ」と。
もう限界だ、「すみませんおなかがアレなのでアレしてきます」と支離滅裂な言動を残し僕はトイレに飛び込んだ。
ただ、出てこない。おかしい。座った瞬間に救済されるはずだったのに。
エンジンはまだ唸り続けている。
気が付くと僕は脂汗でびっしょりと濡れており、床も水浸しならぬ汗浸しだった。こんな体験は初めて、いや2度目だ。
前に救急車を呼んだ時もちょうどこんな床だった。
汗が止まらず、上から下からのハイドロポンプ現象。
その際は原因不明でとりあえず様子見だったが、これは間違いない。
即効性アレルギー反応に違いない。僕はそう確信した。
加齢による魚類のアレルギー発症はそう珍しくないそうだ。

その直後に蛇口を捻ったかのようにヤツらが飛び出してきた。
少しだけ楽になったが、依然としてコンディションは最悪で、便座に座ることができないのである。
高速で尻を拭き、僕はその場で倒れこんだ。
本当にまずい時、人は目の前が真っ白になる事が今回の事件でわかった。
あと、走馬燈かは知らないけれど、何も意識していないのに映像が流れては消え、流れては消えという事象も初めて体験した。
過去の記憶なら納得できたものが、プレイステーションの安っすいポリゴンみたいな世界で車を運転する映像だったのは本当に解せない。今僕はそんなものを見ている場合じゃないんだ。

立ち上がる前に蛇口が開いたら終わりだ。何とか体を起こさねばと強い気持ちで立ち上がり、再度蛇口を開く。
4度目かの放水を終え、なんとか歩くことができるようになった。
尻を拭き、半ケツのままベッドに飛び込んだ。
おそらくあと数度は放水しなければならないが、それまでに体力を少しでも回復させる必要がある。
そうしてそこから10回弱の放水を経て、なんとか調子を戻すことができた。
後のほうなんか半分寝てるときに「気配」がするもんだから、刹那でトイレに駆け込むというありさまだ。

放水と一緒に「日曜日」が流れ出ていくのを感じた。
直感だが、僕は明日何もできずに胃と腸を愛で続けるのだろうと。
最低の週末である。なぜこんなことになった。

今僕は「ピリ辛もつ煮込みうどん」を食べながらこの記事を書いている。
弱ったときにはうどんという古来からの教えを守りつつ、本当にアレルギー的な作用だったのかを検証するためである。
こいつを食べて放水しなければ昨日のアクアパッツァか生ガキあたりが僕を襲ったとしてアタリを付けることができる。

最後になるが、食物アレルギーというのは本当に危険だ。
今までアレルギーとは無縁だった僕が戦慄するほどの恐怖を、教えてもらった気がした。体質によってはアナフィラキシーで呼吸系などに致命的な機能不全を起こす場合だってある。本当に、気を付けてほしい。

さて、うどんも食べ終わった事だし、僕はしばらくトイレに籠ってくだらない月曜日の事などを考えようと思うので、そろそろ筆を置くことにしよう。
それではまた、別の記事で。
                                了

ひとつだけお願いがあります ここにあるクソみたいな駄文たちのこと、時々でいいから…… 思い出してください