アクタージュ

アクタージュというマンガを買った。電子書籍だが。
最近は引っ越しを控えているという都合もあり、電子書籍でちょっと気になった漫画をいくつか買うことが多い。

きっかけはツイッターの広告で、1話の見どころ1Pくらいのコマが貼られているだけのものだった。宣伝文句がついていたかすら覚えていない。
なぜ今日か昨日かの事なのに覚えていないのかと言うと、そのシーンが衝撃的だったからだ。俺は遡ると5歳から少年ジャンプを毎週読み、少し変わった母親の選書(ほぼマンガしか読んでなかったが)も1作品少なくとも数回は読み返すほどのマンガ好きで、とっても!ラッキーマンから多重人格探偵サイコ、ハッピーマニアや失踪日記、烈火の炎から少年の街ZFなど守備範囲の広さにもその辺の人間よりは広い自負がある。もちろんまだまだ読まなくてはいけない本が山積みで、網羅できていない範囲もたくさん残っているのは自覚しているが・・・

とまぁヒネたマンガオタクの俺はそんじょそこらのちょっと絵がうまいだの、ストーリーが良くできている程度のマンガは批評目的で買っちゃったりするなどと性格の悪いことこの上ない最底辺の読者だったりするのだが――

久しぶりに広告の1Pを何度も何度何度も何度も、なぞるように読み返してしまったのだ。これは自分の中で99%当たりの漫画である予感がしたのだろう。この作品はまだ連載しているのか?自分の性分を自覚している俺は必ず「面白いと判断したマンガは完結後に買う」というルールを敷いている。
耐えられないのだ。その世界に没頭したあと引き戻されて、単行本が出てまた世界に入り込んで引き戻されて、寸止めを食らってまた放り出される。
追いたい追いたい追いたい追いたい、感情の整理が付かないまま続きを読みたい結末が知りたい。知った上ですぐ最初から読み直したいその世界に住みたい。

そんな欲求が強いので、月刊連載などの作品は必ずどんなに気になっていても我慢して完結してから買うようにしていたが、しかしだ。
この「読み返し癖」久しく味わっていなかった興奮と直感。ほぼ確信に近い「このマンガ面白い」をここで見逃すのもなんだかもったいない気がして。買ってしまった。
ここまではまぁ仕方がないと言い訳しつつ、1巻読んでるうちに割と冷めてきて、しばらく寝かせられるだろうと思って買ってしまった1巻をサッと読んだところ、また1巻を読んでいたのである。
これはもう降参である。止まらない。

現在7巻まで読了しているが、助かった。巻の切れ目に話しの切れ目が重なっている。信じられない自制心で続刊の購入を我慢できている自分がいる。
多分8巻を買うと、もうおしまいで、また続刊を待ち焦がれる不毛な日々が続いてしまうのだ。マージナル・オペレーションとかシオリエクスペリエンスでさんざん懲りただろお前は・・・

とまぁ現在7巻まで読了したところで発生したこのエネルギーを、分別ある大人の俺が軽くレビューとまでは言わないが感想を述べてみようと思う。

まず、話の前にテーマがあるのだが
「ジャンプコミックス足り得るか?」という命題が出てくるわけだ。
質量を言い訳に週刊少年誌全般を買わなくなった自分が、この命題に対して語るのはおこがましい限り全く恥ずかしいのは承知の上で、そもそも自分が購読していた頃までの話でいうと、雑誌にはまぁターゲット層が存在していて、掲載されるマンガもそれに沿ったテイストのものが揃っていたわけだ。
例えばサンデーではボーイ・ミーツ・ガール的なものが好かれたり、ジャンプではアツいバトルもの、マガジンはそれよりちょっとだけ大人な青少年の心象を扱ったものなどである。もちろん俺のイメージであって上述の定義から外れた名作が各紙に存在することは言うまでもない。
四谷先輩の怪談なんかめちゃくちゃ攻めた題材で好感度S+だったし、スプリガンのどこがボーイミーツガールなんですかァ~となれば、ネギまは小学館でしょ!?ともなるわけだ。

閑話休題。
などと偏見と狭い見識を前提にはなってしまうが、アクタージュはジャンプコミックス足り得るのか?を自分なりに考えてみた。

現段階での回答はNOである。これはジャンプで連載していい漫画ではない。なぜなら狂気を孕んでいるからである。美しくさえ見える狂気。実に危険で攻めた題材だと思う。
個人的にジャンプの読者ターゲットは小学生中学年から高校生までと見ているが、エネルギーが強すぎる。おそらく自分がその年頃でこのマンガが連載されていたら理解できないか、熱量に焼かれて人生を更に別の方向へ狂わせてしまっていたのだろうとさえ思った。

アフタヌーンとかヤンマガで連載するべきなんじゃないのか!!と脊髄反射で言ってしまうくらいにこのマンガは大人びていて、危うい狂気さえ孕んでいると感じてしまった。
もう少し言うとわかり易さが無いのだ、まず演劇という題材だが高尚すぎる。人の感情の機微なんて30になるおっさんでさえ意味分かんないというのに、それを繊細に取り扱っている演劇、女優が主人公だなんてもうね。

とまぁ評価なのか批判なのか分かりにくい事をつらつらと書いてしまったので補足すると、この漫画は俺の中でそうだな、ここ5年で5指に入る面白さだということを記しておく。文章が空中分解してきたのですべて説明できるかは難しいが。またそれを連載している少年ジャンプ編集部の慧眼には恐れ入ります。アンタらもっと馬鹿だと思ってた自分を許してくれ。
誌内でどういった評価の位置づけなのか知る由も無いが、ジャンプの枠に入ってきてるという事は読者の目が肥えているのかもしれない。
駄目だ語るには読書量があと10倍は必要だ。すべての雑誌を再履修しないと話せないよ・・・200万円分くらい既存のマンガ買わないと駄目だね
とにかく最近のジャンプは目が話せない作品が増えてきていて、侮れないなと改めて感じさせられた作品です。

少し話が逸れるが、原作と作画が別れている手法が最近多いように感じている。もともとそうだったのが分かりやすくなっているだけだと思うが、読者としては「先生の頭の中なんでもいいから絵とストーリーにしてくれ、何でも読むからさ」と思ってしまうのだが、専門性がつきまとうマンガに関してはぶっ刺さりますね。
透けて見えるんだよアンタの狂気、原作者さんよぉ。
人間どうしても芸事でも仕事でも、技術を磨こうとすると時間がかかるし、他の要素に費やせる時間が限られてしまうと思うんだ。これのマンガを漫画家が書けるとは到底思えない。フキダシ一つ一つに存在する重みが、マンガのキャラに投射されたその業界の人間の息遣いが感じられる気がする。

これはただの感想だが、ゾクッとするシーンってその前後含めて脳に焼き付くんだよね。多分似たことが現実で起こってるんだろうなって考えるとその業種に興味が湧いてくる。最高だよ。
もちろん架空の舞台の作品でも、シーンを構成するのは現実社会だと思っていて、そこに思いを馳せるのが俺のマンガの楽しみ方の一つだと思ってる。作者の人間性や人生経験が、大なり小なり刻み込まれているだろう。
事実は小説よりも奇なり。全くそのとおりだと思う。
たまに完全妄想のヤベー作者もいると思うけどね。それはもはやギフトの領域。

あとやはり外せないのは狂気。何度か上の方で述べたように狂気のない作品は劇画としてどこか薄っぺらく感じてしまうのだ。自分の主張としては「人間の狂気が一番おもしろい」なので。やはり人間という種たりえる根幹の部分だと思うんだよね。狂気は伝播するし人を動かす。最高だよ。

でもガラスの仮面が少女マンガって考えると、俺の感受性がやっと青少年レベルまで到達したってことなのかな・・・少し不安になってきたぞ

蛇足まみれの駄文に仕上がってきたところでそろそろ筆を置こうと思う。
本当にいいマンガで、久しぶりに漫画を読んで目が覚めた。この感覚は多分スラムダンク以来かなこれ。気になった方は是非1巻を買って何度も何度も何度も読み返して欲しい。「浪漫を画にすると書いて漫画」そんな作品。

                              了

ひとつだけお願いがあります ここにあるクソみたいな駄文たちのこと、時々でいいから…… 思い出してください