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ホーチミン日本人学校小1で退学

しんちゃお🇻🇳

みんなツイてる??


今日はムスコの音楽会だった。

小1のホーチミン日本人学校での音楽会に断固として参加しなかった彼を想うと、

普通にみんなにまじってリコーダーを吹いている姿を見て、ほんと泣きそうになった。


ムスコは小1で中途退学←つまりこの時点で最終学歴幼卒w

2学期は3日登校してそのまま登校拒否になった。

2017年時点でホーチミン日本人小学校の生徒は500人ほど。

海外の日本人学校の中でもここはどんどん生徒数が増えていく中で、支援の受け入れ体制は皆無だった。

発達障がい児を受け入れてもらえないかもしれないという話は幼稚園の先生から聞いていた。

まさか小学校に入れないなんてことがあるわけない。しかも小学校に学費がかかるなんてあるわけない。

あるわけないことは世の中普通にあるらしい笑

海外にある日本人学校は私立です。

現地にいる教師は公務員ですが立候補して海外に派遣されています。

どの国に配属になるかは分かりません。

でも2-3年はバカンスに来られるのです。面倒なことは避けたい。変革なんてしたくない。
平穏にバカンスが過ごせればそれでいいのです(偏見!)

校長の一声で文科省から支援の専門家を呼び寄せることができるのに、

当時の校長は全くもって何もしてくれませんでした。

だから発達障がいの子供がいるお母さん達とみんなで組んで学校に働きかけました(発達に関する悩みサポートのチラシすら学校にはらせてもらえなかった)

現地では日本人の発達支援に関するサポートは全くありません(うちの子は最後アメリカンの支援機関に通ってたから動物の英語の発音がすこぶるよかった笑)

どれだけ金を積んでも手に入れられないものがそこにはありました(ベトナムは金でおおよそなんでも手に入る説)

インターナショナルへの編入が、言語と発達障害の壁によりやはり困難だったこと、当時の給料でインターの学費が払えないので現地で転職先を探してうまくいかなかったこと。

すべてが「日本に帰れ」というメッセージだった。


きっと、日本に今帰ることで人生はより好転する。

ムスコが生まれてから私の人生はいつもムスコが指し示してくれていたから、迷いはなかった。

そしてやっぱり私は人生を好転させた。
今思うと教育者の風上にも置けないクソみたいな校長だったけど、私たち親子の人生のキャスティングには必要な人だったのだ。

だから、感謝している。

キライだけど爆


ベースがそこだから、
帰国して、日本の義務教育を受けるのにお金が1円もかからないこと、

支援のクラスがあること、

事前に配慮をするためにたくさん親とも本人とも学校全体でミーティングしてくれること。

そして何より、

ムスコがそんな学校を自分の居場所だと思っていることが、とてもありがたく幸せなの。


ほんとに、感謝しかない。

それでもムスコはベトナムに行きたいと言う。

彼の人生において、私の国外逃亡(!)という選択が、酸いも甘いもすべて経験として糧になっているのなら、

ムスコは本当にタフな子だなと思う。

私のお腹に心して来てくれたことを、その神様の采配に、感謝感激雨嵐。

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【著者 kayo *自己紹介】
1985年11月1日生まれ。
ADHDとASDを診断されている10歳のムスコが相方のシングルマザー。
結婚や離婚、人生の紆余曲折で仕事を変わるが、いつもだいたい営業職。(下着販売、複合機、生命保険、広告代理店、不動産)
2016年に当時6歳だったムスコを連れて、
行ったこともない、友達もいないベトナムに渡る。
現在は地元である兵庫県西宮市北部にて「みんな違ってみんないい」をキャッチコピーとしたベトナムカフェを開業すべく、マイノリティや、多様性を認めあえる空間をSNSを通して発信している。
 
Instagram:saigon_no_wa
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