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「新町にあった味ビル、協働社ビル、丸大ビル」


青森市の中三青森本店跡地に4月25日(火)
複合商業施設「THREE(スリー)」がいよいよ開業
夜も看板が光っていて大分出来いよいよオープンと言った感があります。

街の様子も刻々と変化するなと思います

思えば
青森の新町通りには

味ビル、協働社ビル、丸大ビルなど

いろんなお店やビルがありました。

味ビルは(佐藤ビル)は当時カネ長武田の真ん前で
複数の飲食経営店が集合してるビルでした。

出来た当初は東北随一味の専門ビルと宣伝文句だったそうで
エレベーターも3基あり、自分の記憶だと
地下に焼き鳥の老舗のヤマガミさんの支店や、
中華飯店などもあったこともあるように思います。

この話を知り合いに聞くと良く覚えていて
1階に街路樹、たまちゃんの部屋、クレープとハンバーガーのお店メルヘンがあり
中華飯店の名前は天山楼大飯店(てんざんろうたいはんてん)で姉妹店の、県庁近くにあったあ果樹園も姉妹店だと教えて頂きました。

少し年齢が上の世代の方だと
味ビルには
3階にはレストランプリンスがあって
さらに屋上には
ビアホールもあり

青函連絡船を見ながら
夏の夕暮れ
生ビールを楽しんだんだとか

後々には金融機関が
たくさんで貸金ビルなどと言われもしましたが
そんな金融機関も時代と共に激減して

終わりくらいの頃の地下のテナント量が
ワンフロワーでも通常の新町では考えられない価格で
貸し出されていた記憶があります

今はビルも取り壊され駐車場になってしまいます
まさに、界隈の
環境変化に翻弄されたような気がします。

協働社ビル

協働社はかつて一世を風靡した秋田県の販売業

シンボルマークはウサギでした。
ウサギがマークのわけは、
他の動物を傷めつけず、飢えても仲間を食べないという理由だそうで
地域と協調して商売することが大切だという理念を持っていたんだそうです。

この協働社は主に靴と傘を売る店舗を、福島県を除く東北5県に展開
その企業が昭和41年頃建てたのが青森協働社ビルでしたが

昭和45年12月に協働社の青森支店ビルが火災で全焼しましたが、その後復興

靴と傘を中心に5階建てのビルの中には
レストランもありました
レストランQという名前だったように思います
まるで百貨店のようでした。

協働社の中二階には
RABのサテライトスタジオもあり
毎週日曜日の午後、生放送やっていたこともあるんだとか

今はみちのく銀行ですが

その隣にあったのが丸大ビル
ここには青森の洋食の先駆けのレストラン丸大レストランがありました。

青森の初めて出会った洋食
コロッケ、クリームスープ、トンカツ、オムライスなど
初めて食べた洋食は衝撃の美味しさでした。

青森市は交通の要衝だったことから
割と早くから西洋料理のお店もできたそうで

1933年青森市が発行した案内には
市内に40余軒の西洋料理のお店があったと記されています。

しかし残念ながら
空襲などによって全てを焼失してしまいます

そんな青森市に戦後
オープンしたのが
「レストラン丸大」だったそうです

丸大ビルは
昭和29年の7月に落成
当時珍しかった洋食のレストランは

多くの市民に愛されました。

1階が丸大堀内の食品部
2階から4階までがレストランで宴会場もあり

丸大でお見合いしたり
結婚式後の披露宴をしたりした市民も多くいました。

丸大はその後昭和35年
市役所横にあった市民会館の食堂を担当したり
商工会館、労働会館の各食堂も担当しました

丸大から独立して
店舗を出す方も多かったそうですが

丸大の料理長として
腕を振るわれた桑原孝好シェフは
後にグリルアラスカを開店し、さらにアラスカ会館を立ち上げ
青森の西洋料理の発展に貢献しています 。



記事参考:新青森市史
ようこそフランス料理の街へ:丸谷 馨著

写真は新青森市史より

街グルメin青森
記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)

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