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「百姓町と言われていた青森市の繁華街、新町の話」


嘘のような話ですが
新町は元はお百姓町といったそうです。

明治初年まで
文字通り
百姓が住む町だったからなんだそうです。

その当時は
家らしきものもなく

湿地帯もあったりと
人もあんまり住んでいなかったんだとか

明治の頃いまの青森の中心部

安方、百姓町(新町)などなど

青森の町境いに11ヵ所の木戸(出入口)があったそうで

安方町と新町にも木戸があり
安方の木戸は桝形(ますかた・直進を防ぐようにできた出入口)や柵立(さくたて)に接し
古川から海まで柵が立てられ

現在の新町一丁目のスクランブル交差点あたりには
新町の木戸があって、
この木戸の外は、現在の青森駅前を含めて古川村の田んぼが広がって

藩主の行列が新城・油川を経て
青森に入るには、桝形を通り安方の木戸から入ったと言います。

どうも想像出来ない感もありますが、今とは景色も随分変わっていたのだろうと思います

そんな
新町が発展するそのきっかけは

青森駅

時代も経ってのこと

当初、安方にあった青森駅の乗降口が現在の場所に移転

さらに、青函連絡船の航路の開設があり
往来客、通過客、ビジネス客が増え

それに伴い旅館、飲食店、食料品店などが形成されていき
そこから伸びて行く様に
青森一の商店街になっていきます。

大型の百貨店が出来た事も
大きな要因かも知れません

しかし、青森駅も
青函連絡船の廃止や
東北新幹線の開業などにより
中心商店街の人の流れも変化していきます

特に
平成になってから
五所川原にエルムの街をはじめ
近隣市町村への
全国展開のチェーン展開の各種チェーン店
コンビニなどの出店により
郡部においても新興商業地区が生まれ

さらに
青森においても郊外に
新しく商業地区が出来ると
中心商店街のぐんと通行量は激減

特に、平日よりも日曜日の通行量ははなはだしく減少

昔は買い物客で賑わう中心商店街の姿も変化していきます。

特に新幹線「新青森駅」の誕生以降、存在感も薄れ気味だった青森駅ですが

1959年に供用を開始した四代目東口駅舎も

2021年3月27日から新駅舎へ移行

その後、跡地に鉄骨造り10階建ての駅ビルが2021年度末に着工
2024年度の完成を目指しています。

青森駅の建設で青森新町の人の流れはどうなるのか気になるところです。

記事編集/鈴木勇

参考
http://www.chusho.meti.go.jp/shogyo/shogyo/shoutengai77sen/machidukuri/2touhoku/3_touhoku_03.html
新青森市史

画像転載
新青森市史
他鈴木勇

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