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「合浦公園(がっぽこうえん)の話」

「合浦公園(がっぽこうえん)」
〜一人の個人の情熱によって出来た公園〜

青森県で一番古い公園は合浦公園なのだそうです

春には桜の名所として
夏には青森の海水浴場として
市民の憩い場所として
馴染みのある合浦(ガッポ)公園

日本プロ野球史上初の完全試合もこの合浦公園の野球場で達成されてるんですね

戦後間もない頃は
進駐軍がここから青森に上陸して
景観素晴らしい合浦公園の木々を打ち払い、
兵舎を建てた事もあるそうです

そもそも合浦公園は弘前藩の庭師、
水原衛作が自らの手で公園の造成を開始して
その家族が盛り土をしたり、開墾したり
身内が随分苦労されて公園を作ってましたが
完成を見る前水原衛作は病で倒れ
1894年:衛作の死の後、
仕事を引き継いだ弟の 柿崎巳十郎が公園を完成させ、
青森町(現在の青森市)に寄付した
そんな故人の想いが詰まった公園です

そんな合浦ですが
合浦の呼び名にはいろいろな説があるようです

アイヌ語のカッポという説もあり
南部藩の治める
南部三郡地方の総称の糠之部(ぬかのぶ)が
カッとなりカホにそして
ガッポに変わっていったという説もあるようです

そして

合浦と同じ名前が

中国にもあるのだそうです

場所は中国の広東省
全面に海南島が浮かび
南西にベトナム、そしてラオスが続く
雷州半島の付け根あたり

合浦と書いてホープーと呼ばれているようです。

ここはこの地域の統治を任された
中国の役人がとてもその地方をまとめるのに
苦労したようで

そんな中国の逸話があり

公園造りに執念を燃やした水原衛作の偉業を
この中国の逸話になぞらえたともされているようです。

一個人の公園を作るそんな情熱とそれを支えた家族、そして志を継ぐ人々によって出来た合浦公園

この公園に訪れることがありましたなら
公園造りにかけた故人の尽力に
想いを馳せて頂けたならばと思います。

参考書籍
青森の歴史散歩(よしのや本間書店)
新青森市史

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