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十和田湖は食べられる魚が1匹もいない湖でした。「十和田のヒメマスに一生を捧げた偉人」


青森が誇る名所のひとつ十和田湖
季節の様子が移ろいゆく姿は
訪れる人を魅了します。

コロナで人の動きも少なく
観光の名所十和田も静かだったこの数年が
今年は久々に行きたいと思う人も多いかと思います。

十和田湖に行ったら湖の辺りにお土産屋さんがあって
立ち寄るのも楽しみの一つです

そして十和田といえば名産のヒメマス。

串に刺したヒメマスを頬張って食べるとほんと美味しいです

十和田湖のきれいな水で育ったヒメマスは、
身が引き締まり、臭みもなく、淡水魚なのに脂がのり、
とっても上品な味でとっても人気

このヒメマスなんですが
ヒメマスは養殖、そして養殖の陰にはある物語があるんです

ヒメマス養殖には和井内貞行(わいない さだゆき)という1人の実業家が大きく関わっています

和井内貞行が養殖事業を開始するまで、
十和田湖は食べられる魚が1匹もいない湖でした。

十和田湖は火山火口にできたカルデラ湖であるため、

生息していた魚介類は

サワガニ、イモリぐらい

(昔の人々は)十和田湖に祭られている青龍権現が、魚を忌み嫌うから、魚がいないと信じていたくらいなんです

『十和田湖で養魚が成功すれば、皆が新鮮な魚を食べられるし、豊かにもなれる』

和井内貞行は魚の養殖を行うことを決意します。

この時和井内貞行は27歳、決意はかたかったそうです。

一度、鯉の繁殖に成功したのですが、需要と供給のバランスが釣り合っていなかったのか、すぐに獲れなくなってしまっています。

43歳の時、貞行は、青森水産試験場から買い入れた
サクラマスの卵を孵化させると、5,000尾の稚魚を放流。

また、日光養魚場からも日光マス(ビワマス)の卵を買い、孵化させて稚魚35,000尾を放流します。

これにより、いずれも多額の借金を抱えることとなってしまいました。

失意の貞行は青森市の東北漁業組合本部を訪ね、
偶然にも信州の寒天商人から
北海道支笏湖の回帰性のマスの話を聞きます。

このマスこそ、アイヌ語でカバチェッポ、後にヒメマスと名付けられる魚

20年程の歳月を費やし、

貞行45歳、最後の勝負にでました。

家具調度品を売り払って、

青森県が支笏湖から購入した「カバチェッポ(ひめます)」の卵を譲り受け、稚魚を放流したのです。

3年後の明治38年秋。

来る日も来る日も十和田湖を見つめる貞行

そんな彼がいつもの様に湖を見てると

ある日無風にもかかわらず湖面がさざなみで揺れました。

ひめますが大挙して押し寄せてきたのです。

養魚を志して22年、

血の滲むような努力が実った瞬間です。

和井内貞行は養魚事業の功績により「緑綬褒章」を授けられました。

ところが、長年苦労をともにしてきた
奥様妻が病に倒れ、46年の生涯を閉じます。

その16年後。
十和田湖に一生を捧げた和井内貞行も65年の波乱の生涯を閉じます。大正11年5月16日のことでした。



この養殖の成功のおかげで十和田では美味しいヒメマスを食べることができるんですね

ちなみに十和田湖の開発に一生をかけた男、「和井内貞行」は真珠の御木本幸吉とハマチの野綱和三郎と並ぶ「近代日本の養殖三偉人」の一人として有名です。

当たり前の様に接してるものにも
先人の努力があると想うと今へのありがたい気持ちが自然に湧いてきます

十和田に行かれることがありましたら
是非ヒメマス料理もご堪能下さいませ


記事編集者/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)
参考サイト
http://www.umai-aomori.jp/know/syun/201010/himemasu.phtml
http://giftstotheearth.com/?p=33892

https://towadako.or.jp/rekishi-densetsu/towadako-wainaisadayuki/

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