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壱岐島の座標

Googleマップを開くと、今自分がいる場所がGPSの青い丸になって、ふつふつと動く。遠出をすると、僕はそれをスクリーンショットで撮る決まりにしている。

人の記憶はあてになるようでならない。思っている以上に見た風景、得た気持ち、考えたことはするすると頭の中から抜け落ちていく。

旅行先、遠出した先から家に帰って、いつもの日常に身を戻していくと、果たして自分は少し前に、本当にそこにいたんだろうか? という気がしてくることは珍しくない。今自分はそこにいないのだからそれを証明するものは記憶しかない。その記憶というのが時としてあてにならないんだから困る。

だから僕は、自分がそこにいたことを、日記や写真などよりも、実務的に、確かに証明するものとして、自分がいる場所をGoogleマップでスクリーンショットに撮っておくことが好きなのだ。

自分の肉体がそこにない限り、それは絶対にあり得ないスクリーンショットだから(僕の肉体がiPhoneと同期しているという話ではなくて)。


みなとやゲストハウスの目の前から


壱岐・芦部は静かで、穏やかな場所だった。

港を降りて、信号のない通りを車で進む。

レンガが敷かれた通りに、イベントを行う大福丸書店、厳密にはいま大福丸書店が入居しているACB Livingという建物があって、そのあたりは初めて訪れた身でも、懐かしさがどことなく、漂っていたように思う。

暑くなってきた昼下がりで、一人、二人とふらりと人が店にやってくる。

大福丸書店 店内 2023/06/10

その人通りの雰囲気が心地いい。街のリズムの、生活の中に溶け込んだ本屋として大福丸書店がそこにある。ACB Livingのやわらかくてモダンな雰囲気が花を添えていて、とても晴れやかで、やさしい気持ちになった。


SLOW WAVESの刊行イベントには8名が参加してくれた。

大福丸書店の店主をつとめていて、SLOW WAVESに寄稿してくれた美沙さんと僕とで、制作についてのあれこれを話した。

参加者は、僕が当日納品した本をその場で受け取ったから、未読のSLOW WAVESについて話を聞いたことになる。未読の本について事前に話を聞くのはどういう気持ちなのかな、などと想像しながら、僕は僕で自分の考えをなんとか伝えようとしたつもりです。

15時に始まったイベントは、当初16時までの予定だったけど、その後もいろんな話をこちらからしたり、質問をいただいたり、参加者の方お一人お一人と話をしているうちに、みなさんと別れてお店を閉めるときには17時をすでにまわっていた。


イベントでは、美沙さんが僕に制作に関する問いかけをくれて、それに僕が答えていくような形で行った。だから、僕のやっていること、知っていることを、こちらから伝えよう伝えようという意識が始めは強かったけど、美沙さんと僕のやりとりに対して、参加者のみなさんがどう感じてくれたか、何を思ってくれたか、どんなことが気になったか、それを聞けるのがすごく楽しかった。


書くことについての問い。

本を好きになることについての問い。

本当はこれでご飯を食べられたらいいと思う? という問い。


まったく考えていなかったことや、そんなことを聞いてくれるなんて!という質問をもらっていると、事前に想定していたことなんて、本当に大したものではないんだな、と言う気がしてくる。自分なりに真摯にやればちゃんと聞いてもらえるし、それは誰かの考えに響いて、個々の思考やイメージの伸びていき方をするんだな、と思った。当たり前だけど、話し始める前の僕には実感できていなかったことだ。

「制作について考えることを、しっかり伝えにいこう」と思ってイベントに出たのに、むしろ僕が、参加者の方の言葉からたくさん学んだ。

こっちから参加者のためにいろいろ伝えなきゃ、という思いを持っていたけど、なんだか、「もらってばっかりだったな」という気がします。「伝えなきゃ」みたいな思いって実際のところ上から目線で、高飛車な態度だったんじゃないかという気すらしてくる。こちらの話に対して返ってくるくる声からいろんなことを感じて、僕の方が楽しんでしまった。


一人一人のお客さんと、本の製作者として話を交わすことができる。それは今回のイベントの素晴らしい点であり、ZINEという形態でこそやりやすいことでもある気がする。
お客さんの声を生で聞くことは、自分にとっては、今後の制作に活かせるからいい、というだけの話では決してない。何かをつくり、それが誰かに届いた。新しい何かが生まれた。それは、物をつくるということをやり通した後にだけ、深く実感できる歓びの経験なのだ。

それを強く感じたくて、そういうコミュニケーションがしたくて、僕はZINEをやっていたんじゃないか。

表層的な会話だけじゃなく、用件を伝えるやりとりだけじゃなく、日頃感じていること、生きている上で自分の中に流れている何かをつかまえて、形にする。それを誰かに伝える。そういうコミュニケーションの形がある。

大切なのは、手で届けること。

そしてそれだけではなくて、手で届けて、その読者のことを知って、本の広がりに直接触れること。


僕は自分の人生において、壱岐島にやってくる日が来るとは想像していなかった。恥ずかしながら、行くことが決まってから初めて場所を調べたし、ましてSLOW WAVESを作り始めた時は、壱岐島で本を売る日が来るとは、まったく思わなかった。

大福丸書店という選書も佇まいも素敵な書店を開かれ、ライターとして活躍し続ける森下美沙さん。大学の先輩である美沙さんが壱岐島にいて、今回ZINEにエッセイを寄せてくれて、イベントを企画してくださいました。在学中はこんなことを一緒にできるとは、まさか考えもしませんでした。あらゆることにご協力をいただき、何度でもお礼を言いたいです。

ご参加くださったみなさん、大福丸書店で本誌を手に取ってくれたみなさん、本当にありがとうございます。

みなさんともっと話したかったです。イベントでは1時間くらい話したけど、でもあれも話したかったなあ、こういうことも話したかったなあ、みたいなこともやっぱりあるし、それ以上に、僕は壱岐という場所に惹かれています。あそこをまた訪れて、壱岐の方々と話したいです。壱岐のご飯はどれもおいしかったなあ。また夜のチリトリ行きたいです。ということは金土に行かないとですね。あとそういえばどさくさでカレー食べてないのよ。

また壱岐に行くならどう考えてもここはリピる

壱岐にいられる時間が丸一日もないくらいしかない、と言うと、みなさん目を丸くして、口を揃えて驚いていた。

「最低でも3泊!」と言われたので、次は有給をしっかりとって、3泊できる体制にしないといけないなあと思いました。


壱岐でお話した方々は、心の伸びというか、余白というか、そういうものをとても大切にしているように、僕には見えました。みなさんすごく仲良しで、よく会って、よく話して、よく笑う。その、ごく日常的な営みのなかに芯がある。たった一日、というか22時間しかいられなかったけど、そんな風に感じました。

ここにいたんです


壱岐を訪れる前と後で、SLOW WAVESは変わると思います。

それは壱岐の地を踏んで、壱岐の空気に触れて僕が変わったということで、それは僕が変わったのだからこれから僕がつくるSLOW WAVESは変わるに違いない。

好きなように本を作って、それを求めてもらい、好きに話をさせてもらう機会までいただける。

悠然とした港街の風景に心の緊張を溶かされて、出会った人たちと通じ合う。こんな幸運を得たんだから、恩返しをしたいという気持ちがむくむく芽生えています。

壱岐のことをもっと知りたい。もっと「いいもの」を届けたい。

今回、美沙さんと話した中でもひとつ大きかったと思うのは、「やりたいことは、どんどんやらなくちゃ」。いいものを届けるために、どんどん、進めていかなくちゃ。

猿岩のそばから。19時なのにこんなに明るい


僕は福岡空港でGoogleマップのスクリーンショットを撮り、飛行機に乗り込む。

GPSは東へ動き、中部国際空港の近くで止まる。

その、GPSの座標をまた壱岐に置ける日を楽しみにしながら、僕はまた、常滑の海辺でSLOW WAVESを作る。

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