西南戦争の流れを簡単に、少々長いです、、
(西南戦争の流れを簡単に、少々長いです、、)
明治10年2月17日、
鹿児島では珍しい大雪の日、
西郷さん率いる5番大隊は鹿児島を出発しました。
普段鹿児島では、雪が降っても10センチ程度ですが、その日は鹿児島市内には約30センチの積雪、
県北の大口市では1メートルの積雪があり、
先に出発していた隊員たちは、腰まで雪につかりながら前に進んでいたと言われています。
「なぜこんな日にわざわざ?」
と、疑問に思いますが、
明治6年の政変(征韓論)後、
西郷内閣の主軸たちが次々と参議を辞任し
東京を後にしました。
真の独立国家を目指して
共に革命を起こした仲間たち。
欧州視察の帰国後
国内に残って改革を推し進めた西郷内閣と
欧州視察から帰ってきた5人との間に
意見のすれ違いが起こります。
自分の出世の為、名誉、財産、権力欲しさで
大して優秀でもない人物たちの中で
権力争いが始まり、古いものを排除する動きがおきました。
イギリス、フランスによる、
植民地化に巻き込まれないように倒幕したはずが、
欧州視察を機に、イギリス、フランスにすっかり魅了され、
お金と権力に魂を奪われていった人たち。
新政府の官僚たちの贅沢三昧、
自分たちさえよければ・・・
(その子孫たちが今の政治、日本の社会を作っていますが…)
当たり前のことですが
全国民の不満は高まるばかりでした。
新政府が恐れていたのは
東京を後にした、西郷内閣の主軸たち。
佐賀藩をはじめに、
新政府からの挑発が始まります。
それに対する反乱。
「政府に逆らったらこうなるぞ!」
と、大久保により
江藤新平はさらし首となり
その写真は全国に公開され、
次に、
神風連の乱(熊本)
秋月の乱(福岡)
萩の乱(山口)では前原一誠が斬首刑。
さて、残るは薩摩。
薩摩には刀を失った元気な若者が数多くいました。
その時、西郷さんは政府を去ってもまだ陸軍大臣で官位もありました。
西郷さんは全国に軍隊を作っています。
西郷さんの命令一つで、実はどうにでもなるのです。
西郷さんが鹿児島に帰り、創設した私学校は
郷中教育、農業を中心にした学校でした。
しかし、いつでも国を守れるように
いざという時の為に準備をしていました。
その証拠に、
明治7年の台湾出兵時にも、
私学校から軍隊として生徒たちを送っています。
そんな元気な若者が大勢いる薩摩に
新政府の挑発がはじまりました。
密偵団、
刺殺の噂、
弾薬を奪われる・・・
そしてついに挑発に乗ってしまった私学校の生徒に
西郷さんは
「ちょっ、しもたー!」
と大声で、自分の膝を大きく叩きました。
(新政府軍たち、なんてことをしてくれたんだ!)
その時の事実上の内閣総理大臣は大久保利通。
すべてを指揮命令する立場です。
すでに大久保の計画は出来上がっています。
西郷さんは、囲碁を得意とする大久保の戦略を
よくよく、わかる過ぎるほどわかっていたので
次に来る戦法も読んでいました。
大久保が自ら計画したなら
既に全国から陸海軍が南下しており、
九州を出るのも困難なくらい・・・
直ぐにくる、
鹿児島が火の海になる・・・
女・子供が巻き込まれる・・・
西郷さんは、
このまま敵が来るのを待ち受けるわけにはいかなかない、
1日でも早く出発しなければ、
すべての命がなくなってしまう・・・
城下を焼かれず、女子供老人を戦下に巻き込まない為の
極寒の大雪の中での全軍出陣だったのです。
東へ進む道は沢山ありましたが、
西郷さんがとった道は
九州のど真ん中の険しい山道でした。
大久保利通の裏をかく為です。
西郷さんははじめから戦う気持ちなどありません。
お金も人員も到底政府には及ばないのですから。
「政府に尋問の筋これあり」
と出立したのです。
案の定、鹿児島を立った2日後には
新政府軍は熊本まで南下していました。
しかしもっと早くに
熊本城にも小倉の連隊が先に来ており、
出動準備や武器弾薬等々の兵站、食料、宿営等々の
準備がなされていたようです。
西郷さんが出立したことが全国に知れ渡ると
これからの日本を背負って立つ、とても優秀な沢山の若者たちが
数多く西南戦争に参加し、惜しい命を亡くしていきました。
城山が堕ちて、
その後の鹿児島城下はすべて焼き払われ、
略奪、強姦、生き残った男子を殺してまわり、
西南戦争で戦い、生き残った兵士は全国の収容所に送られ、
後に続く人たちに、モノを言わせないようにしました。
誰が?
冷酷で残虐で、嘘つきの大久保です。
====私の考察=====
大久保は、欧州視察からいち早く帰国し、
一人山の温泉にこもり、3,4か月も何かを考えていた、
とありますが、
英国から何か個人的な契約結んで来たのかもしれません。
自身と子孫の生涯を保証されたということです。
そして相手は日本国までも保証すると言ったのかもしれません。
であれば、どうやっても仕掛けないといけなかったのが
西南戦争だったのです。
また、今年のロンドンの経済界は
「岩倉使節団150周年記念」で盛り上がっています。
先日のG7での「英国に3兆円投資」が決まりました。
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我々が学んだ、歴史教科書は
一番大事なところをはぐらかしています。
「はぐらかし」、それはいつの時代も、
嘘つきの常套手段。
これがバレたら今も困る人たちがいるのですから。
もう嘘の歴史も
嘘の政治家もいりませんね。
先日、G7が終わりました。
誠に滑稽で、可笑しな会合でしたが…
モノを言えなくなる時がくると困ります。
勝手にされては困ります。
さて、
「今、日本はどうしなければいけないのか?」
また、
「これからの日本をどう作っていくのか?」
その基本がここにあります。
「今こそ西郷隆盛に学べ」
第12回敬天愛人フォーラム銀座
「命をかけて国を守ろうとした、西南戦争で戦った男たち」
「南洲翁遺訓」
2023年5月25日筆