我が家に伝わる「西南戦争」
我が家に伝わる「西南戦争」
(親戚・従姉妹たちが集まったときにいつも話題になる話をシェアします。)
西南戦争(1877年)終結後も、鹿児島にはまだ政府軍が残っていました。
生き残りの士族を探していた とも言われています。
西郷さんが亡くなった後も、政府軍としては薩摩軍は目の上のたんこぶのような存在だったのかも知れません。
その時代の男たちはほとんど西南戦争に参加し、戦死したにも関わらず、
生き残っている男はいないかと政府軍はあちこち探しまわっていたのです。
男の子はもちろん、赤ん坊になると性別の判断が出来ないので皆殺しだったそうです。
そんな時、ある家に複数の政府軍がやってきました。
ひとり家にいた女性は
「見つかったら殺される」
と思い、生まれたばかりの赤ん坊を抱いて
急いで裏口から外へ出て、
畑の茂みに隠れたそうです。
しかし、すぐ見つかってしまいました。
銃口を向けられ
「この家の者か」
と聞かれ、恐怖で頷くことしかできなかったそうです。
「では、その赤ん坊もそうだな」
と言われた時、
その女性は
「この子は、私が不貞をはたらいてできた子です。この家とは関係ありません。ですから、この子の命だけは助けてください」
と言いました。
たったひとりしかいない我が子を守るために、
とっさに口から出た嘘でした。
政府軍はそのまま何も言わずに立ち去り、
その女性も赤ん坊も命が助かりました。
その時の赤ん坊が、私の祖母を産んだ、母「ヨシさん」になります。
あの時「ヨシさん」が殺されていたら、もちろん今の私は存在しないわけです。
男性陣を失い、残された女性たちが、どれほどの思いで家族を、家系を、一族を守ろうとしたか……。
当時の女性たちの想いは、今の私がどんな言葉を並べても表現することはできません。
この話を聞くたびに、大切な親族と共に、
命あることの不思議さ、深さ、
ありがたさを感じます。
歴史を動かしたのは大抵の場合男性でしたが、
その裏にある、守るもの、守ってきたもの、
語り継いできたもの、そしてそれを後世に残してきたのは女性だったのだと思います。
そして、今また世の中が激動する時代に於いて、
どうやったら子供たちに、良い日本を残していけるのか、
それぞれの立場で考えることが大事だと思いました。
写真は「龍門寺坂」(タツモンジザカ)
西南戦争の際は、西郷隆盛率いる薩軍がこの坂道を通って熊本へ向かいました。
ドラマのロケ地にもなっています。