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松本城

7月24日から27日まで、長野県へ旅行して参りました。
うち25日に上高地へ行ったのですが、その間の宿は松本市内でした。
24日に松本を訪れています。
松本城は何度も足を延ばしていまして、今回が3度目になります。
何度見ても、天守閣が美しいのです。
どの角度から、どの場所から見ても…。


松本城の歴史

松本城は、黒塗りの壁の美しさ「烏城(からすじょう)」とも呼ばれています。
その松本城の歴史は、中世の深志城が全身です。

1⃣ 深志城時代

深志城は14世紀後半に築かれたとされており、その築城時期には諸説があります。特に1394年に信濃守護の小笠原氏が築いたとする説がありますが、詳細な記録は後の時代のものであり、確定的な証拠は少ないです。
深志城は、信濃中央部に位置しており、当時の信濃守護であった小笠原氏の本拠地として、地域の防衛と統治に重要な役割を果たしました。
戦国時代に入ると、信濃は武田信玄(たけだ しんげん)の侵攻に晒されることになります。武田信玄はその巧妙な戦術で信濃の諸豪族を次々と支配下に置いていきました。
小笠原氏も信濃の諸豪族と連携して武田氏に抵抗しましたが、武田氏の軍勢の前に深志城も落城しました。以降、深志城は武田氏の支配下となり、武田信玄の城郭網の一部として重要な拠点となりました。
武田氏が1582年に滅亡した後、深志城はその領地を引き継いだ徳川氏の支配下に置かれることになりました。徳川氏の時代には、深志城の軍事的な役割は次第に薄れ、最終的には松本城の発展に伴い、その役割を終えることとなります。

2⃣ 石川数正の築城

1590年(天正18)豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼし、全国統一を成し遂げます。
その際、信濃を含めた東海地方一帯を支配していた徳川家康が、関東に転封されます。
これに伴い、信濃地方の支配が再編され、深志城の位置に新たな城主が迎えられることになります。
その結果、かつて家康に仕えていた石川数正が深志城に入封します。数正は、家康の信任を受けた有力な家臣であり、彼の能力や経験が評価されていました。
石川数正は、深志城に到着すると、その城を見事に改築し、近代的な城郭として整備しました。この改築によって、深志城は単なる防衛拠点から、より洗練された城郭へと生まれ変わりました。数正の改築により、城の防御機能が強化され、居住性や行政機能も充実しました。
深志城はその後、松本城の基盤として発展していきます。1590年代の終わりには、石川数正の後を継いだ人々の手によって、松本城が新たに建設されることになります。松本城の建設に際しては、深志城の改築や整備された部分が基盤となり、この城は数正の巧妙な設計と建築技術によって、当時の最新の城郭として完成しました。

3⃣ 松本城のその後

松本城の外観は「烏城(からすじょう)」としても知られる黒い外壁が特徴的で、現在もその美しい姿を保っています。松本城の建設は、数正の地域防衛と行政の中心としての考え方が反映され、多くの観光客や歴史愛好者にとって重要な城となっています。
現在の松本城は、国の重要文化財として保護されており、五大名城の一つとして日本の城郭の中でも特に価値が高いとされています。松本城の天守閣や石垣は、当時の建築技術を示す貴重な遺産として、多くの観光客に親しまれています。

天守閣が美しい松本城

松本城の天守閣は、私は日本の数多くある城の中でも3本の指に入ると思っています。

この日もあいにくの天候で、時折晴れ間がのぞくこともありましたが、基本的には雲が多い天候でした。
雲一つない青空の下で松本城の天守を見たかったのですが、この日はあいにくの天候でした。ただし、20年ほど前に訪れた際には、絶好の青空が広がり、北アルプスが雄大に望める素晴らしい眺めでした。下記の写真がその時のものです。この時の眺めは実に見事でした。

晴れた空の下の松本城天守閣

松本城の天守閣(てんしゅかく)は、日本の城郭建築の中でも非常に重要な歴史的および文化的価値を持っています。

1⃣ 建築様式

  • 五層六階の構造: 松本城の天守閣は、五層六階の構造を持っています。これは、日本の城郭の中でも珍しい形式で、実際には六階構造に見えるものの、外観からは五層のように見えることが多いです。

  • 黒い外壁: 天守閣の外壁は黒漆喰で塗られており、そのため「烏城(からすじょう)」とも呼ばれています。この黒い外観は、防御と美的な効果を両立させるための意匠です。

  • 曲線の屋根: 屋根は反り返った曲線を持ち、屋根の先端には装飾的な「鯱(しゃちほこ)」が取り付けられています。これは、屋根の防火や風よけの役割を果たし、また装飾的な意味も持っています。

2⃣ 建築技術

  • 木造の建物: 松本城の天守閣は、木造建築でありながら、石垣の上に建てられているため、堅固で安定した構造を持っています。特に、天守閣の内部には、当時の防御技術や生活空間の工夫が見られます。

  • 縄張り(なわばり): 天守閣は城の中心に位置し、周囲には広大な縄張りが設けられていました。この縄張りは、防御と管理のための空間設計を反映しています。

3⃣ 重要文化財

松本城の天守閣は、1950年に国の重要文化財に指定され、また、2006年には世界遺産の暫定リストにも登録されました。そのため、現代においても保存と保護が行われており、多くの観光客や歴史愛好者に親しまれています。

松本城の天守閣は、その美しい黒い外観と優れた建築技術、歴史的背景から、日本の城郭建築の中でも特に重要な存在です。その壮麗な姿と内部の展示は、訪れる人々に深い歴史的感銘を与えるとともに、地域の誇りとして長く愛されています。

今回もまた美しさを堪能する

何度見ても美しいものは美しいわけで…。
松本城だけじゃなく、姫路城も熊本城も彦根城も…私は何度も訪れていますが、美しさと機能の巧みさなどに感銘を受けて立ち去るわけです。
天守閣内部の展示は激混みでした。
内部では、戦国時代の武器や甲冑、城主の生活に関する展示が行われています。

鉄砲狭間?

また天守閣の6階からは、アルプス連山なども見渡すことが出来ますが、人が多すぎてそんな余裕はなかった。(笑)

城はやはり外から見るべきもの、なのかもしれませんね💦
最後は写真を連載しますね。

来る時期が夏場だと、晴れるのは難しいかな。
だとしたら今度行くならば晩秋か春先かな~。
では。

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