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第二話 日本製ニットをつくる老舗ニットメーカー「サイフク」代表インタビュー。                「ニットの今と昔〜60年を迎えて〜」

今回は、日本製ニットが生まれるこの地「五泉市(ごせんし)」の歴史や、ニットメーカー「サイフク」の原点にまつわるお話を、サイフクの代表取締役である斉藤千佳子さんに私、佐藤智香子がインタビューしました。

〈お話を聞いた人 プロフィール〉
お名前/斉藤 千佳子さん( 有限会社サイフク 代表取締役 )
好きな食べ物/旬の食材を使った和食
好きな言葉/日々是好日
ニットとは/無限の可能性

(有)サイフク 会社概要
1963年創業、日本一のニットの産地 新潟県五泉市(ごせんし)に本社があるニット専門メーカー。
編み地から縫製、仕上げ工程まで社内一貫生産を築く、品質の良い「made in Japan」のニットを日々生産。
オリジナルブランド「mino(みの)」・「226(つつむ)」の製造販売のほか、OEM事業も行っている。

〈インタビューした人〉
料理家 佐藤智香子
食のクリエイティブチーム(株)ワイオリキッチン 代表。
旬の野菜、発酵食品を取り入れたレシピを得意とする。
年間レシピ考案数は300以上。
テレビ・ラジオ・フードプロデュースなど務める。

ニット文化の生まれた地

新潟県のほぼ中央。
県都新潟市の南東に位置する、人口約5万人の都市。
秋には、樹齢200年〜600年の銀杏の木が100本以上立ち並ぶ「黄金の里」はその名を呼ぶに相応しい、こがね色の景色が広がる。
新年を迎え、一番寒さ厳しい「寒の入りから9日目」には、菅名岳の麓で日本酒の「仕込み水」としても大事にされている「寒九の水汲み」が行われる地。
迎えた春には、球根栽培として利用されるための一面の「チューリップ畑」が人々に春の訪れを告げてくれる。
豊かな四季に彩られた五泉市に「ニットの文化」は生まれた。
それは、今から60年前のこと。

五泉ニットの始まり

———こんにちは。今⽇はいろいろなお話を聞けるのを楽しみに来ました。
よろしくお願いします。

⻫藤千:こちらこそ、よろしくお願いします。

———それにしてもこの場所。何度来ても圧倒されますね。

⻫藤千:そうですね、私たちはこれが⽇常になってますが、
これらは今まで⽣み出したサンプルや、編み地です。

———これもサイフクさんの歴史ですね。
五泉がニットの産地だということは、新潟に⽣まれた私は⼩学校の社会でも習うので、よく知ってはいましたが、改めて「なぜ五泉にニットが⽣まれたのか」教えてください。

⻫藤千:はい、五泉という地名が「5つの泉」と書くように、⽔が綺麗で豊かであったことが⼤きな理由と⾔われています。
繊維業は沢⼭の⽔を使いますからね。

五泉は昔から機(はた)の産地で、絹織物の⽩⽣地が作られていたんです。
それが戦後、だんだんと現代にそくさないようになってきて、
「着物」から「すぐ着れるものへ」という流れの中で
「ニット」に移⾏したみたいですよ。
⼀説によると、東京の墨⽥区でニットに携われていた⽅々が、
空襲に伴い五泉市へ疎開し、ニットの技術を五泉へ伝承したとも聞いてます。

今年はサイフク60周年の記念の年。

———改めて60周年おめでとうございます。当時の事、教えていただけますか?

⻫藤千:嫁いできた頃は、⽇本の経済成長とともにニット産業も栄えていて、
五泉でも全盛期は120~130社ほどニットメーカーがありましたね。
バブルの時期は、作っても作っても生産が追いつかない、という感じで。
⼤⼿アパレルのOEMのお仕事が主でした。
ここ10数年ですかね、だんだん海外の「価格との勝負」というか。
今は⾐料の5%程くらいしか⽇本で作っていないという現状に変わってきて、
サイフクでも「⾃社ブランド」を作ろうという流れになったわけです。

———それが、minoの誕⽣ですね。

⻫藤千:はい、中川政七商店さん※ との出会いから始まりました。
産地の「⼀番星を作る」という想いと、私たちの「⾃社ブランドを作りたい」という想いが合致して、minoの「ブランド構想」が始まりました。

———私もminoの認知度には驚きました。
昨年、東京で行われた展示会「インテリアライフスタイル展」へ〈226のダイニングアイテム〉の発表の際ご⼀緒させてもらった時にも、沢⼭のバイヤーさんやお客様から「あっ、minoのところね。」などとお声がけいただき、minoは全国的に名前が知れ渡っているのだと、私も嬉しかったです。

⻫藤千:ブランドも10年経ってようやく認知され、直接お声が聞けるのも、⾃社でお客様に商品を届けることのできる良さです。
OEMでは得られなかった感覚です。
 
———とても順調に今の流れが作られた、と感じますが、その認識であっていますか?

斉藤千:そうですねぇ。
今から10年くらい前、アパレルさんの発注量がグッと減ってきました。
次世代の子供達世代も会社に入ってくるタイミングだったので、これからどうやってニットを盛り上げていくのか、と言うタイミングで、中川政七商店さんに出会って「ブランドの作り方」を聞きました。

「産地が苦しんでいるんですよ。」

斉藤千:たくさん作ったけれど、売れない、という時代に入ったんです。
そこでどうするか、でした。
OEMは「自社の技術」と「相手様(アパレル)の欲しいもの」を合致させる、それを形にするのが仕事です。
「自社ブランド」は、通常私たちニットメーカーがやらない範囲(「デザイン」も「広報」)も含めて、全部が自分たちでやらなくてはいけない。
それはもう、手探りの日々の始まりでした。

高い糸が使えない

———斉藤さんはずっとニット作りをされていますが、改めて聞きたいことがあります。「ニットはお好きですか?」

⻫藤千:うーん、家業ですからね(笑)好き嫌いでは言えません。
でも最近はいい糸を使えない歯痒さがあります。高いのは使えません。

———「高い糸が使えない」とは?

斉藤千:10年、20年前の「カシミヤ」がいいよね、などといった高くて良い糸は今の世の中の流れと市場の価格を考えるとあまり使えません。
高いブランドは今でもありますが、相対的にいいものがなくなってきたと感じはあります。
「よりいいもの」を、「よりいいもの」を、と言うことで作ってきたので、贅沢な糸もたくさん使ってとにかくニット作りをしていました。
今みたいに原料も限られていなかったと言うのもあります。
今は、サスティナブルの観点からも、動物を殺生してはいけない、ですし原料が限られます。
それは時代とともにしょうがないことではありますが。
 
———柔軟に捉えていらっしゃるんですね。

斉藤千:そうですね。お客さまの好みも細い方に向かっていっている人と、そこまでは気にしないと言う方と、色々な考えをそれぞれが持っているので、それも時代とともにある変化なんだ、と思っています。
 
———斉藤さんはやっぱり街でニットを着ている人に目がいきますか?

斉藤千:はい。私自身は、最近は若い時のようにたくさん服は買わなくなりましたが、ニットは奥深くて⾯⽩いアイテムなんですよ。

「これからも楽しいニット作りたい。」

斉藤千:うちは縫製技術で何かを作り出すという方ではないので、やっぱり「面白い編み地」を作っていきたいんです。
ニットはできないものはないんですもの。
時代が移って皆さんの箪笥の中にないものを作れば、また「新しい」となります。
20代のデザイナーが新しいと思って作るものは、私たちとっては「懐かしい」ですが、現代ではまた新鮮に映るので、時代はやはりめぐるって本当だな、と思います。
最近は無地系が多いですね。
 
———ラメとか金糸とかは?

斉藤千:それは年代がずいぶん上がりますね(笑)

———なるほど・・(笑)
 
———この先、伝えたいメッセージはなんですか?

斉藤千:「産地」が栄えていないとだめなんです。産地というのは、
最初から最後までないと「産地」といえないんです。
糸屋さんや、刺繍屋さん、加工屋さん、染工所、製品を作り上げるニット会社、全部揃っていないとできない。
そこに、高い品質でニット製品をみなさんの手元に届けられる、
「日本製ニット」の技術すべてが集約しているんです。
産地が下を向いていくと「やめます」などの声が上がる。
でも一つでもかけたら、それではやれないんです。産地みんなで「頑張ろう」という気持ちを持って、これからもやっていきたい。
そして、楽しいニットを作っていきたいんです。
 
中川政七商店:第十三代中川政七氏。奈良で1716年に創業し、手績み手織りの麻織物を作り続けている300年にわたって作り上げてきたブランド。自社のみならず“日本の工芸を元気にする!”をビジョンに掲げ、産地再生を多く手がけている。