ドビュッシーの立ち位置
さてさて、
ドビュッシー は音楽家としての立ち位置は解説してきました。そして、重要な音楽家であることはわかっているのですが。。。。
芸術とりわけ、フランス文化の中でのポジションというのが避けては通れないものです。
ドビュッシーというか 当時のフランスの文化は密接にかかわりあっているようです。絵画、音楽、文学、の3本柱の 「印象派」の中の一員なのです。
絵画、文学はよくはわかっていないのですが、絵画でいうと、画法は印象派の中でも異なっています。当たり前っちゃア当たり前ですが、、、
画家のマーケティング、ポジショニングは音楽より簡単といえば簡単で、難しいといえば難しいと思います。
音楽より簡単な部分は、いつの時代も対応できそうな気がするからです。描写の技法としては簡単そうに見える キースへリング の作品、今全く同じでないにしても、似たような 描写の技法で ポジショニングを確立することはできそうです。音楽に関して言うと、ロマン派的なシンフォニーは素晴らしい作品としても現代ポジショニングを確立することはできません。話題になった佐村河内守プロデュース作品、はっきり言っていい曲です。が、芸術家として佐村河内守が名前が残ることはありません。なぜなら、作品がロマン派という既存のものだからです。
難しい部分というのは、画家は、作曲家以上になんでもできそうだからです。きっとなんでもかけるでしょう。その中で、セルフプロデュースする能力が求められ、セルフプロデュースした後は、マーケティングしつづけていくといいう、過酷な仕事が待っています。世に出て売れることがすべてではないにしても、芸術家として名を残すためには必要な努力でしょう。音楽の場合、芸術としては、ロマン的なもの、シェーンベルクのようなもの、は自ずと選択肢から外れて、新しいポジションを確立するには、もはや、現代音楽しか残っていないのです。組み合わせで新しいポジションは確立できますが、全く新しい音楽は既になくなってしまっています。
さて、当時のフランスには、今日本のインターネット界で流行りの「サロン」ができました。元々は社交界のような場所を指す言葉のようです。が、ドビュッシーが集まったサロンは、内容は上流階級であっても、社交界のような華やかな雰囲気の中でのサロンではないような気もします。
さて、ドビュッシーの作品がバラバラのような印象を受けるのは、そういったフランス文化の環境から自然なものではないかと、また不倫ばっかりしていたのも、今の芸能界のような場所にいたとしたらごく自然なことだと思われます。
海 が 浮世絵 をモチーフにされたという事ですが、モチーフとなるべくした 対象を 音楽 絵画 文学 等で、形になる前にこう言ったサロンで喧々諤々と議論されたような気もします。レベルの高い朝まで生テレビのようなかんじでしょうか??議論だけで終わる参加者も多くいたはずです。
異国の文化、技術の展示会、パリ万国博覧会は大きなサロン のような気もしてきました。
そういったサロンの中で、どういった音楽をするかではなく、芸術の中の音楽は何かという立ち位置から、始まったのならば、個々の作品は、一見バラバラのように見えたとしても、サロンの大きな流れの中で、ポジショニングがなんとなく出来上がっていったような気もします。
だからドビュッシーがあんまり好きではないのかもしれませせん。ドビュッシーを理解しようとしたら、サロンの仲間とのつながりも大切になってくるのかな??
マーケティング のまとめは次回以降です。。。。
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