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鐘の音

【朗読台本】
所要時間:10分


【まえおき】
 この作品は15歳(設定)の誕生日祝いに書き下ろした作品です。
 演者様の性別不問です。
 配信なども自由にどうぞ。




 14歳だった時間に母が死んだ。

 母は随分と長い間、闘病していた。
 
 幼かったわたしには

    伝えられていなかったけれど、

 病気が発覚してすぐの頃、

 余命3年とかって言われていたらしい。
 
 そういう意味では、

 それにプラス2年生きたのだから、

 母はものすごく頑張ったと思う。
 
 

 母は強くてカッコイイ人だった。
 
 ずっと女手一つで子どもを育てて、

 働いて、

 しっかり趣味ももっていて。
 
 明るくて、奔放で、酒に強くて、

 たくさんの人に好かれて。
 
 子どもの目線からしたら、

 朝は弱いし、

 弁当にギョウザいれたりするし、

 ……ちょっとどうなの?

 って思うとこもあったけれど。
 
 総合的に見て、

 やっぱりどうあがいても

 尊敬してしまう人だったなと思う。
 

 
 それにも関わらず、運が悪いというか……

 いや、そんなスゴイ人だからこそ

 なのかもしれないが。
 
 残酷なことに、再婚して一年たって、

 やっと広い家に引っ越したってところで、

 病気が発覚した。
 
 

 けれど、やっぱり母は母で、

 人前では辛い顔は見せなかった。
 
 それまで出来なかった分とばかりに、

 夫婦や家族で

 国内の旅行にたくさん行って、

 美味しいものを食べて、お酒を呑んでた。
 
 聞いた話では、容体が悪くなる直前も、

 「次はどこどこの温泉に行きたい」

 なんて言っていたらしい。
 
 病院に駆けつけたわたしが

 最後に聞いた母の言葉も、

 「そこの棚に三千円入ってるから、
   あの子に何か買ってあげて」だった。
 
 だからホントに、

 そんなことを言っている人が、

 数時間後にいなくなってしまうなんて

 思いもしなかった。
 
 

 陽が沈み、夜が更け、

 あと少しでその日も終わりという頃。
 
 その頃にはもう母に意識はなくて、

 声をかけたり、手を握ったりすると、

 わずかに反応が返ってくるだけになった。
 
 明らかにお別れの瞬間が迫っていた。
 
 打つ手がないことなど、

 もう誰もがわかっていた。
 
 それでもただひたすら、

 声をかけ続けた。
 
 自然と涙がこみあげてきた。
 
 隣にいた叔父が「泣くな!」と

 わたしを叱咤した。

 「まだ生きてるんだ!泣いちゃダメだ!」

 と。
 
 わたしは必至に涙をこらえて、

 ただただ母へと呼びかけた。
 
 そうすることしか出来ることは無かった。

 それをしたところで

 もうどうにもならないことは

 解っていたけれど。
 
 何度も何度も繰り返し

 皆で呼びかけるうちに、

 もう誰の声かが判らなくなり、

 何を言ってるかも判らなくなってきた。
 
 心臓の動きを知らせる波が

 ゆるやかになる度に、

 一斉に複数の入り混じった声が放たれた。
 
 

 23:50。
 
 鐘の音が聴こえた。
 
 呼びかける声が

 一定のリズムを刻んでいたからか、

 叫び続けて耳がおかしくなったのか、

 聴こえるはずのない音が聴こえた。
 
 時を知らせるかのような、

 年末に煩悩の数だけ鳴らされるような、

 そんな音がどこからか聴こえた。
 
 始めは小さかったその音は

 段々と大きくなって、

 次第に頭を鈍器で殴られているような

 痛みを伴う位の大きさになった。
 
 あまりにもしつこくなり続ける鐘の音は、

 主治医の「ご臨終です」という言葉を

 かき消すくらいうるさかった。
 
 けれど、耳を塞ぐことすら、

 わたしは失念していた。

 泣くことに忙しかった。
 
 だから、

 脳の中からか、

 はたまた胸の中からか、

 聴こえてくるその鐘の音は、

 ずっと鳴りやまなかった。
 
 そしてわたしは、

 鐘の音と共に、

 15歳を迎えた。
 
 

 夜が明けて、母と一緒に家へと帰った。
 
 疲れて

 いつの間にか寝落ちてしまったわたしは、

 バカみたいにいつも通りの日常を続けた。
 
 そうしないと、

 わたしもその日で終わってしまうような

 気がして。
 
 その日、一日、

 会う人みんなが

 「おめでとう」と言っていいものか、

 悩んで困ったような顔をしていた。
 
 時間は勝手に進んで、

 いつも通りを繰り返して、

 夜になって、

 それまでの誕生日会では

 集まったことないくらいの人が

 家を訪れた。
 
 なんだか、泣いたら負けな気がして、

 一年に一度の自分のための日を

 母に奪われてしまう気がして、

 気丈に振舞い続けた。
 
 まぁ、今にして思えば、

 自身の生誕祝いと親の仮通夜を

 同時に行った人間は

 そうそういないだろう、なんて……

 自嘲できるけれど。
 
 周りからしたら、

 「おめでとう」の代わりに

 慰めの言葉ばかりを

 浴びせられている15歳は

 なかなかに

 痛々しかったんじゃないかと思う。
 

 
 それからも時計は前へ前へと進む。

 止まったり、

 戻ったりすることなく進んでいく。
 
 日々の生活にはそんなに変化はなかった。
 
 母の入院生活は長かったから、

 炊事も洗濯も今まで通り。

 慣れたもんだった。
 
 いや、強いて言うなら、

 受験っていうのは大変だったかもしれない。
 
 でも、それも5つ上の姉が頼りになったから、

 そこまで苦労もしなかった。
 
 だから、それで終わりだと思っていた。
 
 時計と一緒で未来に進んで、いつしか過去のことになって、

 戻ることなんてないと思っていた。
 
 思っていたんだけれど……

 どんなに泣かずにいたって、

 母の真似して強いふりをしてみたって、

 そうそう都合よくはいかないようだった。
 

 
 歳を重ねる10分前。
 
 翌年から、その時間になると必ず、聴こえてくるのだ。

 あの鐘の音が。
 
 まず始めに、時間が近づくにつれ目が奪われる。

 自然と時計を気にするようになってしまう。
 
 次に鼓動が高鳴り始める。

 脈動が早まる。
 
 呼吸が荒くなって、心音は全身を震わせ、やがて音になる。
 
 あの鐘の音に。
 
 なんか、症状だけ羅列すると、

 自分の誕生日を楽しみにしているのと

 変わらない感じなのだけれど。
 
 まぁ、あんまり気分のいいものではない。
 
 なんとかすっぱりさっぱり忘れてしまおう、

 気にとめないようにしようとは思ったのだけれど、

 そうもいかない。
 
 だって、定期的に、

 何周忌とかって思い出させられてしまうから。

 否が応でも。
 
 

 なので、それからわたしは、

 その日その時間は

 出来る限り誰かと一緒にいるようにすることにした。
 
 家族ではない。

 家族だとどうしてもまざまざと思い出されてしまうから。
 
 出来ればたった一人ではなく、大勢とのほうがいい。

 他の音や声がかき消してくれるから。
 
 わたしがそうすることを誰かが咎めるようなこともない。

 だってあと数分でその日の主人公になるんだから。
 
 そうやって胡麻化して、

 なんとか、それなりに、

 うずくまって動けなくなってしまうようなこともなくなって、

 素知らぬ風を装えるようになった。
 
 

 母よ、

 あなたの子は、

 随分普通に笑ってその時間を迎えられるようになったよ。

 あなたの子らしく。
 
 やっぱり零にはならなかったけれど、

 たくさんの「おめでとう」に耳と瞳を埋めてもらって。
 
 だからさ、その内消えるんじゃないかと思うんだ。

 聴こえなくなるんじゃないかと思うんだ。

 あの鐘の音も。
 
 あなたが一日でも早く安心できるように、

 わたしが一日でも早く本当に大丈夫になれるように。
 
 伝えておく。
 
 「生んでくれてありがとう」
 


 
Fin

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