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センチメントの行方は今も知れず。

昨年末刊行された、漫画家の榎本ナリコの、「センチメントの行方」を読んだ。
20年前に描かれた、援助交際や女子高生の性・少女性について描かれたオムニバス形式の漫画「センチメントの季節」の続編。
出会って10年。この歳になってまた、センチメントの季節の続編が読めるとは思ってなかった。センチメント〜は、高校生だったわたしにはとても衝撃で大切な作品だった。
17歳の、女子高生のわたしに若さの価値と切なさを訴えかけてきた漫画。悲しいくらい大好きだった。性描写が多いからあまり人に勧めることができなかったが、出てくる女子高生に共感が止まらなかった。

女子高生の性を買うおじさんと、女子高生という価値を売る女の子たちのオムニバス。

ブックオフに毎日制服で通って集めた日々から10年経つけれど、わたしはわたしの女性性に今も懐疑的だ。当時も今も男性も恋愛も苦手だし、女性らしくいることなんて・女性であること自体に価値があるだなんて思うことはできない。
ただ、当時のわたしは女子高生だった。顔の可愛さとかスタイルの良さなんて関係なく、それ以前の価値として、女子高生であり17歳だった。その価値は痛いくらい分かっていた。
でもわたしには、都会の雑踏で制服を翻すこともできなければ、センチメントの季節に出てくる女の子たちのように性を売る勇気もなかった。田舎でただ悶々と、女子高生である価値を考えることしか、できなかった。

だからこそ当時のわたしは、センチメントの季節に出てくる「今しかないの。」と、性を売る女の子たちが、とても羨ましかった。かけがえのないその時間を使い切っているのが、消費されていることが羨ましかった。
だからわたしは、わたしにはもう二度と来ることのない、消費される時代のアイコンとしての制服が、当時も今もすごく好きだ。
女子高生の時間を消費したかった思いは今も昇華されずに残るから、わたしはずっとティーンが好きだ。

女子高生はいつの時代も気づいている。自分に価値があることを。そしてそれが期限付きであるということも。
それはまさに、センチメントの季節でしかない。そう思う27歳のわたしもまた、女子高生だったのだ。


#榎本ナリコ #センチメントの季節 #女子高生 #制服

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