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リズムを宿す

晩年の母と暮らした。 目が見えなくなっていたが、認知が進んでいたことが幸いしてか、本人は苦にすることもなく自分の世界に生きていた。
そんな母が歌を口ずさむ。  「一番初めは一宮、二また日光東照宮・・・」どんな時もこの歌を機嫌よく唄った。 いつも指で調子をとりながら。幼い日、この歌を唄いながら毬つきをしたのだろう。

記憶というのは不思議だ。歯ブラシにペーストをつけることさえできなくなっている母が、歌なら口をついて出て、10番までも唄えるのだ。「いまのここ」に役立つ記憶は全くなくした母が、「かってのあそこ」を生き生きと回想する。覚えようとして覚えることだけが記憶ではないのだ。母の毬つき唄だって脳に刻まれたというよりも、動きのリズムとともに体に入り込んだものに違いない。

森羅万象に波があり、リズムがある。水の波を筆頭に音の波、光の波動、昼と夜の波等、自然界はリズムに満ちている。人も心臓の鼓動、呼吸の波動を筆頭としてリズムの中で生きている。このリズムこそが遠くの面影を呼び起こす。母の毬つき唄も体に沁みこんだリズムが呼び起こしたものだ。思えば人は十月十日の間、母親のお腹の中でいつも聞いていた。血潮のざわめき、母親の心臓の鼓動、静脈の摩擦音、それらのリズムはたとえ意識の領域外だとしても、今もどこかに残っているはずだ。いや、もっとさかのぼって祖先のざわめき、古代人のいのちのリズムもあの二重螺旋の巻物に残されているのではないか?

心臓の鼓動は、呼吸の波動は、まなざしを遠くへと向ける。脳が"いまのここ"をてきぱきと判断するのに対して、"かってのあそこ"のまぼろしを重ね合わせる。人の内なるリズムは大自然のリズムと呼応する。浪打際での波の音、響き来る太鼓の音、どこか深いところで共感しないだろうか?なつかしさを覚えないだろうか?脳の働きが機能しがたくなった母に残されたのはこの体内に秘められたリズムだったのだ。このリズムが唄を導き出し、それこそが母のこころそのものだった。

探求心というのは、知りたい、分かりたいという脳の働きから出てくるものだとばかり思っていた。でも違う。母が無意識に調子をとっていた指の動きこそが原動力となる。役に立つ立たないを超えた体の深いところから湧き上がる心情、こころ、それなしにはすべてが二番煎じとなってしまう。遠くにまなざしを向けることこそが"いまのここ"に深みを与える。母の指の動きのリズムは教えてくれる。
(三木成夫先生に教わったことを自分に照らし合わせて書きました)

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