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こころ模様「カルナマリーさんのこと」

カルナマリーさんはインドのアシュラム(僧院)でヴィーナを手に唄い浄める人。ヴィーナという楽器はインドから伝わった琵琶の起源だ。そんなことも奈良の博物館で琵琶を見てから知った。そもそも記憶のかなたに埋もれていたカルナマリーさんが立ち上がってきたのも正倉院宝物の琵琶がきっかけだった。

21年前のこと、デーリー郊外のアシュラムに滞在していた。カルナマリーさんの集いではいつも隅っこに坐り耳を傾けていた。部屋へ遊びに行くようになったのは何がきっかけだったか覚えがないが、彼女はいつもこんな笑顔で迎えてくれた。異国の人であろうと無条件で受け入れてくれたカルナマリーさん。ある日、壁に飾ってあった山間の寺院の写真に魅入られている私に
「ヒマラヤのふもと、クマオンにあるナイニ・デヴィ寺院です」
「ここへ私はいけますか?」
「もちろん、デリーから夜行バスが出ています。行ってらっしゃい。」
写真家、アヌップ・サーへの紹介状まで書いてくれ、彼女の導きでヒマラヤのふもとナンダデヴィ近くまで行ったのだった。様々なことが一気によみがえる。

カルナマリー

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ヒマラヤのふもと、クマオンへの旅は大変だった。インドのおんぼろ夜行バスを使ったり、山道の途中で岩が落ちてきて道をふさいだり、後続のバスが転落したりと、今思えばよくぞ無事にというもんだった。もちろん一人。度胸があるというより、成り行き任せ  "しゃーないな~"   
 でもあの旅で吹っ切れた。そして今、そのまま置き去りにしたものを拾い集めている。インドもコロナで大変な状況だけど、カルナマリーさんは今も元気にヴィーナを奏でているだろうか?あの旋律が耳によみがえる。

見えないナンダデヴィ

「いつかある日」という歌を知ってるだろうか?ナンダデヴィを想って創られた歌だそうだ。屋根に向かって開かれている窓に坐って雨季で見えないナンダデヴィを飽きずに毎日眺めていた。一週間もいただろうか、いやもっと居たのかもしれない。ひたすら見えないものを見ようとただ坐り続けていた。見たかったのはナンダデヴィだったのか?何だったのか?
20年を経た今、見えてきた気がするのは幻想?かもしれない。
それが幻想だろうとなかろうと、生きる力になればいい。

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どこにだって、いつだって死はある。
それがあの時でなく今、今ではなく数年後、わかるはずもない。
確かなのは今生きているということ、人生を楽しめるということ、楽しみ方は人それぞれだろうが、私はカルナマリーさんが思い起こさせてくれたものを見果てぬ夢であろうとも追い求めてみたい!

note いったん休みます。ありがとうございました。 


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