フラワーエッセンス・セレクト─椿姫ジュリアーナの場合─
2023年は中森明菜の年でした。
ゴールデンウイークには、1989年に開催された伝説のライブ『AKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversary』の映像が劇場公開されました。
年末には、ニッポン放送でリクエスト番組『中森明菜オールタイムリクエスト』の生放送もありました(電リクですよ電リク!)。
往年の明菜ファンは、名曲の数々を聴きながら、歌の世界観と、ご自身の人生と、明菜への想いがごちゃまぜになって、涙とともに、説明できない感情があふれ出るのを体験されたのではないでしょうか。
※子供のころから「明菜」と呼ばせていただいている世代なので、ここでも呼び捨てで、申し訳ありません、ご容赦ください。
物語の登場人物にエッセンスを
わたしはかねてより、このような研究(遊び?)をしているのですが、今日は明菜の曲なかの登場人物に、フラワーエッセンスを提案することを試みてみたいと思います。
自分のなかで湧き上がっている「明菜渦」に触発されてのことです。これ、シリーズにして、しばらく続けるかもしれません。どうぞお付き合いください。
『椿姫ジュリアーナ』の物語
では、まいります。今回、取り上げたい曲は『椿姫ジュリアーナ』です。
1985年に発売されたシングル『SAND BEIGE─砂漠へ─』のB面におさめられている曲です。歌詞はこちらに載せられないので、歌ネットなどでご参照ください。
歌詞から読み取れる舞台設定は、サーカス団のように移動する芸能集団の日常。もしかすると、ロマなど、移動生活する民族をモデルにされているのかもしれません。
この曲が発売された当時、まだ幼かったわたしは、流浪する人々の迫害や阻害といった歴史的背景について、漠然とではありますが、そのイメージを感じながら聴いていたように思います。
この曲の物語の主人公は踊り子。踊ることが人生の役割。踊る場面では踊らなければならない。ギターに合わせて、楽しそうにと言われれば楽しそうに、脚を見せろと言われればそのように。踊り子の人生は決して自由ではないのです。
化粧も笑顔も衣装も「つくろい」であって「わたし」ではない。「わたしの人生」は「踊る人生」。まるでわたしのものではない‥。
踊り子は、人が寝静まってから、ひとり、誰にも見られていない「わたしだけのわたし」を感じようとしますが、何かが欠けている。そこには「愛がない」というのです。
踊り子として観客に求められることはあっても、素顔の自分を愛する人がいない。そんな孤独を歌っています。
観客は悲劇的な踊りのシーンに惹きつけられます。踊り子も、悲劇的な物語に魅入られている自分を感じ、胸を焦がすような想いをしているのです。
ジュリアーナにエッセンスを
フラワーエッセンスのカウンセリングで、このような身の上のお話をうかがったとしたら、「ご自身がご自身を受け入れる」ためのエッセンスを提案したいと思います。
すべてパシフィックエッセンスというブランドのシリーズから選びました。
悲劇的な物語のなかで、静かに、でも現実にあらがうように生きるジュリアーナは、わたしにとっても魅力的です。その世界観を、それこそ踊り子のように明菜が演じてくれたからこそ、いまもわたしたちの記憶にのこり、自身の人生と重ねながら、物語の意味や続きを思い描くことができるのだと思います。
ひとりひとりの人生の物語はつづき、ひとつひとつの選択が、ストーリーを大きく動かしていきます。
その可能性とバリエーションは無限です。この歌の歌詞にあるとおり、まさしく、「生きていくことにシナリオはない」のですから。
日常のお悩みをうかがって、いまの状況にあったフラワーエッセンスをご提案します。また、選ばれたエッセンスをブレンドした希釈ボトルを1本おつくりします。
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