母の最期
前回のつづきです。
こうして私たち家族は無知ゆえに母の転移性大腸ガンと闘い、母のガンが分かってから一年半の月日が流れました。
そして、
私たち家族が最後に選択したのは、最期は「退院してもらい、おうちで看取ってあげる」ことにしました。
訪問医を探したり、ケアマネージャーに相談したり、忙しない日々が続きました。
約20日間でしたが、沢山の人に支えられたし、家族だけでお別れの挨拶もしました。
そして、ものすごい寒い日に
濃くて密な介護生活もあっけなく終わり、母は還らぬ人となりました。
そして、四十九日も過ぎた頃
私に異変が起きました。
つづく
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