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父がなくなる

昨日16日に会いに行ったのですが
それであの写真の文章を投稿したのですが、投稿したあたりの時間帯に亡くなったそうです

6月17日14時30分永眠 81歳

昨日会いに行けてよかった

ただ過去を振り返るとまったく私が親孝行らしい事をしたのが想い出されないのが申し訳なく心残りです

幼少の頃を苦労した父は、子供が出来てからは堅実な人生を歩んで来た人でした。俺にはそう見えました。
それが高校生の頃は嫌で嫌で早くこの場から去り東京に行きたいと考えてました。

でも今では尊敬しています
あんなにも堅実に働いて私たち兄弟を育ててくれた事に感謝します

よくぶっきらぼうな態度をとりつつもよく冗談も言う人でした
性格が読めない人でした
男はつらいよ の寅さんぼくも
見えたりした時も

私との生き方とは
全く合わずいつも私の行動は理解されず反対されてばかりいました
でも結局は
好きにしろ‼︎‼︎
と言葉を投げ捨てられ放置してくれて、私にはその距離感がよかったのです。感謝しています。

父は私が芝居を続けているのかいないのか、などは分からぬままだった事でしょう。ここ20年は一切東京で何をしているかなど仕事の話はした事無かったですから。

病室には人数制限があったのですが輝と陽華と私の3人で入りました

感謝の言葉を綴った手紙を渡したくて、読んでもらったら捨ててくれと書き記した手紙を渡そうとしていたのですが、病室に入ると、苦しく痛いのか、唸っているし、痩せこけているし、想像を超えた状態でした。

私は子供達の前で書いてきた手紙を泣きながら読みました。途中、泣きすぎて読めなくなり、陽華に代わってもらったり、でも難しい漢字が出てきて、また俺が読んだり。
それでも感謝の言葉を伝えられてホッとしました。
父は読んでいる最中、今更やめろ!みたいな反応だったかなぁ。
あいかわず性格は読めない。 
それでも
感謝してるよ、と、ありがとうは伝わったと思う、思いたい

突然、父が目を見開き陽華と輝を見て孫2人を認識する
「勉強しろよ」と聞き取れた
こんな状態でも「勉強しろよ」
と言った父に驚く
父は最終学歴は中卒
集団就職で川崎の工場に勤めた人だ。勉強したかったのかもな。学歴で苦労したのかもな。
義理の父とも性格が合わなかったから逃げる様にいわきを離れたんだろな。

葬式は数日後なので
まだ実感はわきませんが兎に角
16日亡くる前日に会えて良かった

母が私が写っている幼少時代の写真を集めてくれていた
懐かしいと思いながら見ていて
ハッと気づいた

父と一緒に写っているのは
数枚しか無かった

弟との写真や
母と私が一緒に
写っている写真が多かった

この写真を撮影したのは
父だったのだなぁと改めて思ったら
泣けてきた


オヤジへ
ありがとうございます



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