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“ What’s UGUISS ? (UGUISSって、なんだ?)”

第六話「次のフェイズへ#3」Text by 松本淳

1980年、僕がアメリカから帰国すると、
佐橋、柴田、そして仁恵さんとの活動が本格的に始まった。
当時、カルメンマキ&LAFFやTENSAWのサポートをやっていた、
キーボードの伊東あっちゃんがタイミングよく参加してくれた。
右手でオルガン、左手でシンセベースを弾いてくれるという。
バンドのメンバーが揃った。

とにかくライブがやりたかった。

UGUISSとしての第1回目のライブは、
吉祥寺のシルバーエレファントだった。
ライブハウスでライブをやると、
憧れのアーチストに一歩近づけたような気がした。
ライブをやりまくった。
ライブにおける経験と反省が、バンドの明日への糧となった。

UGUISSのライブの評判は、そこそこ良かった。
噂を聞きつけたプロダクションやレコードメーカーの人たちが
見に来るようになった。
メジャーデビューというものをかなり意識するようになった。
バンドとしての方向性が定まってきた頃、
ほどなくしてボーカルが山根栄子になった。
さらにライブをやりまくった。
バンドのポテンシャルは一気に高まっていった。

その一方でUGUISSにはアナザーサイドがあった。
その頃すでに、
メンバーそれぞれがプロのミュージシャンとしての仕事をやっていたのだ。
佐橋は石川優子のツアーをやっていた。
柴田と僕は、あの漫才ブームでブレイクした
ザ・ぼんちのサポートをやっていた。
伊東あっちゃんは、もんた&ブラザースのメンバーでもあった。
栄子はコーラスとして柳ジョージや姉の山根麻衣のステージに立っていた。
けれども、目先の状況に甘んじることなく、
自分たちの音楽をたくさんの人たちに聴いてもらうために、
バンドに惜しみなく時間と情熱をつぎ込んでいった。
先の見えない不安は常にあったが、
メンバーへの信頼感と根拠のない自信がそれ以上に溢れていた。

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