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木嶋神社(木嶋坐天照御魂神社)のゆわれ

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木嶋神社(京都市右京区)の云われを調べる機会ができたので、ここに書き記しながら思考整理でもやってみようかと思っています。 (僕は歴史学者ではないので一個人の見解となる表現も含ま…
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#大酒神社

養蚕神社(こかいじんじゃ)、通称「蚕ノ社」の云われ。

前回「年中行事」の概要でしたが、今回はその続きとなります。 「まえがき」で少し触れているが、6〜7世紀あたりの史実ともなると神話も半分になりそうで、伝承されている由緒書、近隣史跡の云われだけでなく、ネットから得れる情報も頼って整理しているけれど、今も昔も情報なんてものは、「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということだけでなく、誰が何を目的として残したものかでその意味も捉え方も変わるもの。 。。。。。。。。。。。。 木嶋神社本殿の東隣に摂社として「養蚕神社(こかいじんじゃ)/蚕

秦氏(秦河勝・秦酒公)を祀る太秦の大酒神社と坂越の大避神社

地元の神社(木嶋神社)を調べることがあって、その流れ。 秦河勝(はたのかわかつ)は、603年(飛鳥時代)に広隆寺(蜂岡寺)を建立した人物。聖徳太子の懐刀として深い関係でもあったようで、弥勒菩薩半跏思惟像を授かると安置する場所として広隆寺を建てたとされる。 その広隆寺の東に「大酒神社(おおさけじんじゃ)」という小さな神社がある。その云われは養蚕神社(こかいじんじゃ)、通称「蚕ノ社」と類似する点が多く神仏習合の慣習を思うと広隆寺、養蚕神社、大酒神社、木嶋神社は一つの組織もしく