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この半年間でやめたもの、その1.テレビ

テレビをやめた。

やめたといっても、モニターとしてテレビは使っている。使っているどころか、6月中旬に65インチの大型テレビを買ってもらってオンライン配信等のモニターとして大活躍している。だから、テレビをやめたというよりテレビ放送を見るのをやめた、が正しい言い方かもしれない。


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お腹に犬を載せつつ、ゴロゴロしながらオンライン配信のライブを見たり。(左上の光はテレビの中のステージの光)


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室内自転車でトレーニングする時は、映画を観ながら大汗かきつつ漕いでいると、わりとあっという間に1時間が経過する。


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料理番組をYoutubeでみてみたり。近視で老眼なので、65インチが来る前はテレビの中の映像や字幕など、ぼやけててとても見ずらかった。

テレビは見ている。テレビ放送じゃないテレビをみている。夫はもともとテレビを見ぬ人で、わたしが点けない限りはテレビは消えているのが我が家の常だった。

わたしは大のスポーツ好きで、海の向こうで開催されている大会も時差に関係なくライブで観たい派なので、テレビがない生活なんて、、、そう思っていた。今年は東京オリンピックもあるから、大きなテレビで観戦することを大いに楽しみにしてたんだけど、な。

そんなこんな。
わたしは、時報代わりにテレビを点けっぱなしにしている時期が長かった。けど、3.11以降それをしなくなった。茨城の実家の皆の安否が分からぬままの3日間、ずっとテレビに釘付けになった。連絡が取れない不安と、テレビの中に流れる惨状に2日目にして具合が悪くなってしまった。どんな時も食欲が落ちないわたしが、食べ物が喉を通らなくなった。

エーシ~♪ と、あのCMの音を聞くと、今でもあの時の不安がよみがえる。家族の安否が分かっても尚、テレビを消すことはできなかった。ずっと見てた。楽しいどころか、苦しいのになんで見続けているのか自分でも分からなかった。

そして、今年の3月上旬。台北出張に1週間行って帰ってきた。現地のテレビは見なかった。日本のテレビも見ようと思えば見ることができたけど、見なかった。なんでかな、テレビから流れる情報(特に新型コロナ関連のもの)は自分にとって有益じゃない感じを受け取りはじめてたから。そうして帰国後には、なんだかきっぱりテレビを見なくなった。

海辺の町(それも町中じゃないディープエリア)に住んでいると、不安や心配、恐れが少ない。人とすれ違うこともまれだから、マスクをせずに毎日を過ごすことができる。

一方的に情報が流れてくるテレビは、いまの自分には要らない。ほしいものは自分から取りに行く。情報も、映像も、音楽も、ドキュメントも。

2020年。
自分の中の「好き」と「嫌い」、「要る」もの「要らない」ものを逐次取捨選択中也。


#日々の暮らし
#やめたもの


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