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なんか、さ。

昔むかーし、三軒茶屋に住んでいたころ。

仕事の帰り道、まっすぐ家に帰ることは稀で、たいていマックの角を曲がってすずらん通りの両脇にある幾つかの、いわゆる飲み屋に寄ってから帰途につくのがいつものパターンだった。おじさんっぽいけど。

ある夜、すずらん通りの出口近くにあったお寿司屋さんで飲んでいたら、カウンターで隣り合わせになった占い師(本人曰く)に、「あなたは極端に"好き"のチューニング幅が狭い」と言われたことが、まるで呪文みたいずっと付きまとっている。その言葉が、妙に腑に落ちているからなんだけど。

好き嫌いが激しくて自分でも持て余し気味だった性格を、それでいいのよと太鼓判を押されたみたいで、その占い師の言うことを頼みにしてきた。そうかそうか、そうだよね、って。

去年来、家で過ごす時間が長いことが影響しているのか、久しぶりに会う人(初めて会う人も)たちの多くが、ものすごくしゃべる。それは、わたし自身もご多分に漏れずだけれども。そのうちの幾つかの言葉に、なにか引っかかりを覚える。これは一体なんだろか。

あ、そうだ。
忘れてたけど、わたしは"好きのチューニングの幅が狭い"のだった。なんとなくと感じた引っ掛かりは、自分とチューニングが合っていなかったんだ、きっと。違和感を感じるモノゴトや人と相対しなくてもいいよ自分。時間は有限なんだから。

これからの時間はさ、できることなら自分の好きや、好きを一緒にコロコロできる人、居心地のいい大切な人のために使おうと、そんな風に、あらためて思っていますの巻。


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