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サンシエ・ドーバントン
サンシエ・ドーバントンと聞いて、ピンと来る人はどのくらいいるでしょうか。わたしはすっすり忘れてました。パリ・メトロの駅名のひとつなのですが。
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年末からこちら、自分の中での意識合わせがうまくいかず、地に足がついてない感が続いてました。
そういう時の特効薬が片付けだと知っているので、ずっと片付けをしています。自分でもあきれるくらい、もうずっとずっとずーっと。で、仕事部屋の配置換えをし始めて出くわしてしまったのが、山ほどのノートと手帳と地図でした。
それらの山の中に、パリの地下鉄路線図が記された地図がありました。〇印のついたサンシエ・ドーバントンは、数年前のパリ滞在時の最寄り駅だったことを思い出し、ついとなりの手帳をパラパラしはじめたら... 、片付けは一時中断、というか完全に止まってしまいます。ま、それも、いつものことなのでしかたないのですが(笑)。
あぁ、そうだったな。
2015年は自分にとってターニングポイントだったなぁ。前年の3月に父を亡くし、空っぽ感をなにかで埋めようともがいていた時期。
頭に浮かんだことは
なんでもできるし、
できるんだよ。
父がいつも言っていた言葉。そんな言葉に背中を押されて、ずっとやりたかったことをスタートさせた年でした。
世界の街角で
日本自慢をして歩く旅。
その旅はすでに前年の2014年9月(父が亡くなってから半年後に)、パリのギャラリーを予約したときから始まりました。ギャラリー代はびっくりする大金だったけれど、自腹でやることが大事でした。だって、それは、自分にとっての真剣な遊びなのだから。誰かやどこかからの紐付きだったら、好き勝手に遊べない。ま、どこからも選ばれてないし、誰からも呼ばれてなかったワケですが。自分で練りに練って創り上げた大冒険旅でした。
6月にVol.1としてParisで実施
やれた。
2015年:1度目のパリは自分から押しかけた。
2018年:2度目のパリは集金を兼ね、金継ぎのワークショップをリクエストされた。
2020年:3度目はパリから声がかかり、招へいされた。(実現せぬまま2年が経過したけれど)
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次にパリに行くときも、サンシエ・ドーバントン駅近くに滞在しようと思っている。アメリが自転車で走り抜けたムフタール通りで食材を買って、アパルトマンで料理をしたりワインを飲んだり、なじみのカフェで朝食を食べたり、坂を上って下ってセーヌ川に出たら、川沿いをランニングもしよう。
もろろん、アブドのお墓参りに行ってタヒチアンダンスを踊らなきゃね。
時間の流れが変わったこの2年間。だからこそ新しい呼吸法を学ぶことができて、動力となっている好奇心が萎むことはない。
自分の中で乖離している意識も少しずつちょっとずつ戻ってきつつあるし。長年の夢をはじめるにはいまが絶好の「その時」。さ、はじめます。
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