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日記(梅まつりの後の公園は

 つつじがとてもきれいでしたね。

 散ったつつじが目に入ってカメラを取り出した。花がピークを迎えている時、だいたい散り始めているから困ったものだ。花ばかりに注目しているから感傷的になるのだろうか。花や葉、枝も根も一要素に過ぎないのだし。

 霧雨のような天気で午前中ということもあり人が少なかった。もっと控えめな印象の梅の花が咲いていた頃はあんなに賑わっていたのにねぇ。見られてなんぼという訳でもないしね。寂しいなんて私の勝手だよなぁ。

 梅の実がなっていた。季節が変わるのは早いんだなぁと感じながら、この梅食べられないのかな。収穫して商売できないのかなと。この土地が賑わって商店が儲かって地価が上がって人が増えて……と考えて、人間様ですなぁわたしもと思うなど。選ばれてしまった土地、始まってしまった環境、いろんな可能性という未来、束ねていく現在、収束した過去。

花はえっちですなぁ
母が水滴を弾く肌を玉肌と言っていたけどちょっと違うよな
こういう水滴を甘そうだなってなめたことはないですか?ないですよね。
わかるなぁ。ビールではないよなぁ。
もうすでに初夏のような生命!という匂いが漂っていた。妻が苦手だという匂いだ。

 ポロッと落ちている美しい花もあれば、茶色くベシャッとなっている花。落ちずに萎んでいる花。いろいろな終わりがある。花は終わりでも生命の終わりではない。詩を取り出すのは視点の話だ。どう抜き出すか作り出すかといっても行き過ぎではないと思う。いろんな詩が編み込まれて重なり合って何かに見えている。

 今更だけどつつじで良かっただろうか。花に疎い。名前は知らなくともきれいだなと思う。世話をしなくても栄養をあげなくても。

 なんでこんな文章を書いているんだ私は。まぁ、そういう日々の中にいることもあるわね。内臓にポリープができたようなのだけど、良い芽であってほしいわね。

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