日記(アップルの宣伝映像なかなか禍々しいですね

 わたしは制度というか仕組みというか、枠を信じて生きている。それを能動・受動は別として選んで生きているのだから、その中で生きるか変革を企てるかは個人の自由だなぁと思う。

 仕組み側が悪意を持っている場合にどう行動するか。もしくは行動できるかが個人の強さで、嫌なら違うものを選ぶ・作ることができないならマシなところで呼吸をするしかないのだ。弱者は何かに生かされていることを受け入れなければならない。

 強い弱いは社会的に、という訳ではない。武士は食わねど高楊枝?ボロを着てても心は錦?意思と行動は何にも奪われない。一般的に豊かさを表す選択肢から離れることを受け入れればいい。と、思っている。

 家庭を持つと、子供ができると人は変わるというが真実だろうなと思う。妻や子供にまで自分の意志を強要できる人は多くないだろう。仕組み側に働きかけたり、折り合いをつけて上手くやらなければ……と考える人が増えてしかるべきだ。何が今、自分にとって大切なのか考えなければ。自分が進む先で大切になるモノが何かを考えなければ。

 だいたいのモノはそれだけで成り立っていない。何かを選ぶということは、付随する何かも一緒に選ぶという事だ。必ずセットなこともあれば、やりようがあることもある。初心者がパソコン選ぶ時のように余計なアプリでいっぱいなものを買って後からカスタマイズするか、知識を付けた後に必要なスペックを追うか。どちらにしても最初から望むものは手に入らず使いながら取捨選択をするもので、初期はうまくいかないものだ。人生でも何かを選ぶと、それが今まで経験のないことならなおさらエラーに悩まされる。でもその繰り返しでしかどうしようもないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?