1杯のコーヒーの味を決めるもの

  たまにはコーヒー屋さんらしいこと書くかーであり、ラブレターでもある。そうそう、そうなんだよねぇーを最近目にしたので触発されて、というやつだ。

 液体のコーヒーは豆・焙煎・抽出で味が決まる。各段階それぞれが大切で、豆が持っている味の中からどれを引き出すか。その引き算をし続けているような感覚で私は仕事をしている。だいたい1g3粒ほどで、1杯のコーヒーには10~20gくらいが使われることが多いのではないだろうか。30~60粒ほどの豆。その中のたった1粒で味が明確に変わることもある。一昔前のルワンダ・ウガンダの豆は大変でしたね、同業者のみなさん。

 いろいろな要因で味は決まるわけで「これはどんなコーヒーか」という問いには答えやすいが「この味は何由来なのか」を聞かれると詳細になるほど困ってしまう。『こういう特性の豆でこのくらいの焙煎度なので、だいたい豆としてはこんな味を持っているんですよ。なんでこう抽出をするとこのコーヒーになるかなというイメージで作りました。』誠実な回答だと思う。コーヒーとしてはそうだ。チーズケーキと一緒に飲む人と、カレーの後に飲む人では感じ方が違うだろう。お客さんの胃の調子でも違うだろうし、わたしの使う豆も焙煎からの経過日数で味は変わっていくものである。

 最終的にお客さまに届く味はわたしの祈りだと思って作っている。祈るためのお作法・儀式が豆の選定であり焙煎であり抽出なのだ。自家焙煎とかネルドリップとかペーパードリップとか、水出しとか落し置きとか宗派のようなそれぞれの祈り方があるだけなのだ。届くか届かないかはわからない。努力は工夫はできる。わたしの祈りなので、あなたに届かなくても祈り続けるし、届かないことにあなたは何も感じなくていい。
 わたしは勝手に「このイメージのコーヒーとして届いてくれ」とか「せめて美味しいと感じてもらえたら」とか「あなたの好みとわたしの好みが近いところでありますように」とか祈っている。

 祈りというのは届いた時には祈りの形をしてないのではないだろうか。願いとは違って。うまく言語化はできないのだけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?