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日記


梅の紅さ、紅さと書くのがしっくりくる色が好きだ。
自然にこんな色があるなんて。画面というものを見ずに半年も過ごしたら、梅の鮮やかさを見ただけで卒倒するほど感動できそうだ。
あえてこう考えたい。なぜこの色を選んだのだろう。どう作り出したのだろう。

『不明 紅』もはや何と読むのかもわからない名札が下げられていた。
なんだかわからないけれど紅い梅です、なのだろうか。
夜明け前のような色の梅、のような名づけなのだろうか。
人は想像の余地を残されると埋めたくなるものである。

「今日はよく晴れてますから、そちらから富士山を見ることができますよ」とおじさんが誘導していて、窮屈そうな富士山をいろいろな人に紹介していた。
故郷はどこにいても山が見える土地だったのを思い出す。関東は平野であり東京は人工物が空高く伸びているため山を見ることはほとんどない。確かに、どんなに小さく見えようと富士山は美しいなぁと、おばちゃんたちの頭越しにしばらく眺めていた。

そのとき左を向いたときの景色である。もちろん彼の視線の先に富士山はない。

梅とか桜って撮るの難しくない?そんなことない?晴れているとつい青空との対比で撮っちゃうよね。枝のメキメキした感じもよい。ポテポテとまとまってつく花も愛らしい。

せっかくfoveonで撮っているので苔も撮るか……のやつ。こけこけしいぞ!
こっちを向いてくれよ

はてさて
ついつい赤の他人を撮りがちなのだけど、あまりにバッチリ顔が写っているとやめておこうとなるので難しいところだ。
「記念写真」ってすごく良いよね。
私は子供のころから記念写真が嫌いだった。写りが悪いのを自覚してからどんな顔をしたらいいかわからず、結果さらに微妙な表情で写るのを繰り返し負のループに陥っていた。社交的な笑顔、ひょうきんな顔を学習することで大学卒業以降はそれなりに撮られなれた気がしている。
なので、照れながら・嬉しそうに・騒がしく・ばっちりピースで記念写真を撮っている人を見ると心があたたかくなる。

何歳になっても記念の写真を撮るべきだ。
撮ることになる環境があるというのは幸せなことだと思う。

また来年も、みたいなのが良いじゃないですか。
桜が咲いたら花見がしたいですね。宴会がしたい。好きな人になみなみと酒を注ぎたいですわ。

使用カメラは
sigma dp3 quattroですわ。コンバージョンレンズを付けたものが多いです。


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