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『さがす』レビュー/CDBさん(映画ライター)

韓国映画は素晴らしい、それに比べて日本ではあんなくだらない映画がヒットして、と多くの映画ファンが言う。僕は日本の、くだらないと言われている漫画原作映画の中に見るべき素晴らしい俳優やシーンがたくさんあることをツイッターで書いているうちにライターになった人間なのでそういう定型文には反射的にムッとしてしまうけど、そう言いたくなる気持ちもまあまあ分かる。でもポン・ジュノ監督の元で助監督をつとめた片山慎三監督の新作映画『さがす』を見た時、日本映画の中で見慣れてきた日本の俳優たちの顔が、まるで別の文法で翻訳されたように生き生きと輝き始めるのを見て、日本の映画監督が日本を舞台に、日本の俳優で日本語の物語を撮影しても、こう言う日本映画が作れるんだ、という驚きに心を揺さぶられた。

佐藤二朗は世間一般に対しては、福田雄一作品のイメージがあまりにも強く刷り込まれている俳優だ。今やYouTubeでも彼の『銀魂』や『新解釈・三國志』のアドリブ演技のモノマネをする動画が溢れているし、本人もツイッターでは面白いことばっかり言っているので、彼が本来どんな演技をする俳優なのかを知らない人も多い。ここ数年映画館で見た映画は福田雄一作品とアニメだけ、という若い観客はたくさんいるし、そういう人たちが日本映画を支えてくれているのだ。そういう油性のマジックで俳優の顔に書いたラクガキみたいなイメージを消すのは簡単ではない。でも映画『さがす』の父親・原田智役は、佐藤二朗という優れた俳優の顔に、血の色のペンキを塗りたくるみたいに強烈で新しい記憶を上書きしていくと思う。

『さがす』のストーリーは、東京から流れてくる死の思想と、西成の路地から生えてくる雑草のような生の思想の対決で構成されている。死神のような青年を演じる清水尋也と、生きようとする若いエネルギーを放出する娘を演じる伊東蒼の名演の間で、佐藤二朗が演じる父親は生の思想と死の思想のどちらに傾くのか。日本で起きた現実の事件を明らかにモチーフにした脚本は、僕たちの社会のコアに踏み込んでいく。でもこれは堂々たるエンターテイメント作品だ。まるでジャズのようにスウィングする伊東蒼の大阪弁に揺られながら西成の狭い路地をジェットコースターのように走り抜ける、クライムサスペンスだ。 

日本と韓国の映画の違いは、別に俳優や監督の才能ではない。片山慎三監督はポン・ジュノ監督のもとで助監督をつとめた経験から「日本の監督に足りないのは時間だ」という言葉を残しているけど、そうした周囲の環境にくわえて、あとは受容する側、『さがす』のような優れた映画をきちんと評価する側の問題だと思う。『パラサイト』の受賞スピーチで配給プロデューサーが「特に感謝したいのは、韓国の映画ファンの皆さん。これまで多くの作品を観てくれました。そして常に正直な感想を私たちにぶつけてくれました。韓国の映画の観客に感謝します」と語ったけど、韓国の観客は文句ばかりつけてるわけじゃなく、優れた映画を決して見殺しにしない。『さがす』は確かにきわどい描写もあるけど、難解な文学映画ではなく、経済に追われる毎日の生活と、忍び寄る死の影の中で生きている日本の普通の人たちが『我がこと』として見ることができるエンターテイメント映画だ。そういう映画を「いい映画だったけどヒットしなかったな。日本の観客はダメだよね」と他人事みたいに語って終わらせない、普通の人たちに片山慎三監督という新しい才能の素晴らしさを伝え、これは映画評論家のための映画ではなく、僕やあなたたちのための映画なんだ、と伝えていくのは、きっと僕たちの義務なんじゃないかなと思う。

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CDB 映画ライター
非正規雇用で働きながらツイッターで映画の感想を書いているうちに、文春オンライン他のWEBメディアで映画や演劇についての原稿を書かせて頂けるようになりました。書店に並ぶ雑誌では『週刊文春CINEMA!』で「私の映画日記」が掲載中。とんちきなイラストをかくのが大好き。 noteでは、作品のネタバレ関係やプライベートのオフレコなど拡散したくない話を『七草日記』という定期購読マガジンで書いています。よかったら購読してみて下さい。