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【ネタバレあり】『さがす』レビュー/須永貴子さん(映画ライター)

※本記事にはネタバレを含みます※

 2003年の『殺人の追憶』以降、『チェイサー』(08)、『悲しき獣』(10)、『新しき世界』(13)、『バーニング 劇場版』(18)、そして『パラサイト 半地下の家族』(19)といった傑作の積み重ねにより、韓国映画業界が作るクライム・アクションやクライム・サスペンスに対する個人的な信頼は強まるばかり。これらに比べると、この類のジャンルで「衝撃作」とされる日本映画のほとんどは、湿度が無駄に高く、説明的で理屈っぽく、エンターテインメントとしての爽快感がいまひとつ。しかし片山慎三監督の『さがす』には、日本映画が韓国映画に太刀打ちできる可能性がみなぎっていた。

 幕開けは、女子中学生の楓が、こつ然と姿を消した父親・智を探す冒険ミステリー。素人探偵の奮闘にエールを送りながら見守ると、彼女は父親の名を騙る、連続殺人事件の指名手配犯の青年を見つけ出す。その人物、“名無し”こと山内照巳が残したヒントから、楓は父がいると思われる離島を目指し、神戸港から船に乗る。

 彼女の冒険はひとまずここまで。物語は過去へ巻き戻る。山内にフォーカスを当てたサイコスリラーを強めたパートを経て、智と山内が共犯関係にあったことが観客に明かされる。きっかけは、智の妻がALSに侵されたことだった。智は山内に安楽死を望む妻の殺害を依頼する。それを機に、智は山内のパートナーとして、自殺志願者とのやりとりをして報酬を得ていたのだ。

 そのことを知らない楓は、パトカーのサイレンに導かれ、離島の古民家に足を踏み入れる。そこには3人の男女が血を流して倒れていた。映画はそこで何が起きたのかを克明に描写し、事件はいびつな一件落着を迎えるが……。

 123分の中で、ここまでジャンル的な様相を変えながらエンターテインメントとしてまとまっているのは、作品を支える体幹がしっかりしているからだろう。その体幹とは、一貫して流れるユーモアと、本作のアイコンである連続殺人鬼のキャラクター造形の完成度の高さにある。

 ユーモアに関しては、舞台を大阪にしたことがまず大正解。智と楓のやりとりを中心に、関西弁のかけあいがベースとなるリズムを刻んでいる。そこに、楓に恋心を寄せるクラスメイト男子の表情や、自殺志願者「ムクドリ」のどうしようもない傍若無人さといった、容赦のない人間描写がアクセントとなり飽きることがない。

 そして名無しこと山内に関しては、演じる清水尋也のアプローチの素晴らしさに感銘し、すぐにインタビューを申し込んだ。彼は感情を役にシンクロさせる憑依型ではなく、目つき、表情、体の動き、仕草などでキャラクターを創造するテクニカル型。本人の演技力に任せきりにしない緻密な演出もまた、山内の完成度を高めている。

 たとえば、楓が卓球場の押入れで眠っている山内を発見するシーン。山内が靴を履いたまま寝ていることから、彼が逃亡者として修羅を生きていることが伝わってくる。清水は監督と話し合い、そりゃ履くよね、という解を導き出したという。このようなディテールの積み重ねが、シリアルキラーに説得力をもたせるのだ。

 なにより印象的なのは、彼の生きることに対する執着だ。追いかけてきた楓に、路地で反撃するシーン。山内は楓を突き飛ばすと、映画的に盛り上がる無駄な暴力を省略し、楓の首をめがけて両腕を最短ルートで突き出し、躊躇なくギリギリと締め上げる。ムクドリを手に掛けようとした時は、邪魔をした警察官の目を迷いなく突き刺して逃亡する。自分を邪魔する者に対する、一切の迷いのない、一撃必殺の攻撃から、彼の生き延びることへの本能が感じられる。

 清水は山内を演じるにあたり、サイコパスの記号を排し、獣のような生存本能を表現した。劇中で、ある人物が山内を「人じゃない」と表現したが、山内はたしかに映画史において、まだ誰も見たことのない、得体のしれない生き物として存在していた。それでいて、車に轢かれた猫を土に埋めるシーンからは人の心も感じられる。さらには、好青年の皮もかぶれるから恐ろしい。

 その山内よりも、とは言わないが、誰もが獣になりうるのだ。冒頭のシーンで、金槌で素振りをしている人物のように。あのショットと山内のトロンとした眼差しの残像、そしてラストの卓球のラリー音の余韻は、国境を越えて波紋を広げていくはずだ。

須永貴子 映画ライター
ライター。映画、ドラマ、お笑いなどエンタメジャンルをメインに、インタビューや作品レビューを執筆。「ひとシネマ」の配信映画を紹介するコーナー「オンラインの森」で、レビューを担当(3週に1回)。仕事以外で好きなものは、食、酒、旅、犬。Twitter: @sunagatakako