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シェアリング現実【持続可能と不可能と設定】

『そもそも、幸だの不幸だのは、それぞれの設定により変わるのだ。しかも、そこに多様化を認めればなおさらのことだ。
制度もライセンスも法も秩序も、
建前の上では、社会を守る為にあるものではなかったか。
その上で
《多様であって良し》とされはじめた世を管理する、または、護る為の制度はどうあるべきか。
そこの貴様、応えよ』

と、このお話色んなことに繋がるのだけど。
何に繋げるかでまた方向は様々変わるよね。

小学生ユーチューバーが義務教育を受けない主張する権利だとか。
国外の戦火が地平を舐める紛争地に入るジャーナリズムの責任範囲だとか。
でも、とりあえず、コレらは、置いとこう。だって、別にそんなの、わりとどうでもいい話かなって思うよ。

俺が興味あることは、そういうことではなくて、

寿命がこんだけ長い個体がこれだけ増えてて

子供の数がこんだけ減っていて

なんで、こんなことになってんの?

死ぬまでの数十年を働かない人間を【成立させてしまって】いる事実。

個人の幸せがなにか、不幸せがなにか、それはまぁ、いいのだけど、

少なくともこの傾向が当たり前になっていけば、そりゃあ、全体の選択肢は減る一方。

なぁ、本当に行政が主導してサービス提供する「介護」の必要な人ってどういう人のことをいうの?

どうにも、行政サービスとしてやらないといけない範囲の設定が曖昧な気がするんだ。

なぁ、本当に、行政が世間を煽ってまで給料を引き上げてあげないといけない【介護士】ってのは、どういう能力と役割を有する人のことをいうの?

本当に努力して、力尽くして、やってるやつに、その金がいくようにしてやるのが前提だろう。

歳をとると大変≒カイゴ必要

カイゴ必要な人の対処は大変≒もっとお金を積んであげないといけない

曖昧な輪郭の世界。

SDGsの概念は、そうした曖昧さを赦すだろうか?

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