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人と違う選択も楽しくなった、移住という始まり

初めまして久野(くの)と言います。33歳です。私は1年前に、結婚を機に東京都から佐賀県に移住しました。結婚のご挨拶と共に新住所をお知らせすると、「佐賀?何があるの?」と戸惑いながら聞かれ、今まで特に関心もなかった「都道府県魅力度ランキング」では46位という一番旨みがないランク付けをされ、思ってた以上に佐賀という場所の認識度の低さを感じました。そんなまちに移住して1年が経ちましたが「むしろ佐賀で良かった!」と思う瞬間で溢れています。今、価値観が多様化する中で、移住とか新しい働き方とか周りと違う選択をすることが増え、本当にその方向性で良いのかと不安になることがありませんか?まさに5年前の私がそうで、現状に違和感を感じながらも自分の選択に自信を持てず、決断を先延ばしにしていました。そんな絶望した日々を経て、この佐賀という場所で、今やっと人生で一番自分らしい暮らしができていると感じています。

移住してすぐの頃、地元のケーブルテレビに初めての出演!テレビに自分が出てきて笑ったと同時に、毎回まちの人がたくさん出てくる親近感で一気にケーブルテレビのファンに。

「あぁ今日も幸せだな」の瞬間がたくさんある毎日

私が暮らしているのは、佐賀県の西側の長崎にもほど近い、温泉と、お茶と、焼き物が有名な嬉野市というまちです。特産品を並べただけでも魅力がたくさんあるのですが、その豊かさは日々の暮らしの中でも感じています。

嬉野には日帰り利用ができる温泉宿が24軒あり、早めに仕事が終わった日はどこに行こうかと贅沢に悩みながら温泉選び。疲れた体に染み渡る湯船の中で自分を労います。
空を見に散歩に出かけたくなる夕方。
夕日が沈んだ直後の、目の前に広がる空の色が大好きで、胸がいっぱいに。
近くの産直市場で買ってきた採れたての野菜があまりにも瑞々しくて、今まで付け添え程度にしか思っていなかった野菜というものが、こんなにも美味しいのかと感動する朝ごはん。

嬉野に来てから「あぁ今日も幸せだな」と思う細やかな瞬間を感じやすくなりました。自分の願望に蓋をしながら、SNSで見るあの人みたいな幸せが欲しいと思っていた数年前とは全く違う、豊かな自然や人との関わりの中で感じる、自分の心の底から湧き上がる幸福感です。

「完璧じゃないといけない」に苦しめられた28歳

そんな私は28歳の頃、「今は頑張りどき!」とがむしゃらに仕事に打ち込んでいると、気づけば周りに結婚する友達が増え、早くしないと行き送れるよという周りのプレッシャーを感じるようになりました。そもそも結婚だけが幸せじゃないでしょと怒りながら、完璧に仕事ができるようになれば何も言われなくなると考え、朝から終電まで仕事をしては人生について見て見ぬふりをしていました。その完璧な状態はいつまで経ってもやって来ず、ある日の朝、いつも通り会社の最寄駅に着いたのに一歩も足を進めなくなってしまいました。その後無力感を感じながらも、休む時間が出来て初めてやっと自分の本当の気持ちを考えられるようになりました。その時に気づいたんです。周りからのプレッシャーを勝手に感じていたのも私で、適齢期になると結婚しないといけないと決めていたのも私だということに。「○○だから○○しちゃいけないし、○○だからこうじゃないといけない」と、他にも色々なことに制限をかけていることに気づきました。自分の本当の望みとは違う、一般的な幸せを完璧な状態だと思い込み、自分の現状と比べ辛い毎日でした。

完璧じゃない、何も決まっていない状態で決断した移住

田舎暮らしには興味があるけど、どこに住んでいても働ける技術を身につけないと移住はできないと思っていました。都会から外へ出てしまうと、失敗した時に人生をやり戻せない気がして。でも少しずつ、自分の願望に寄り添えるようになってきた頃に、付き合っている婚約者と結婚することになり、そのタイミングで夫の生まれの佐賀県に移住を決断しました。でも、当時の私の働き先は九州に異動先がない、婚約者は異動先はあるけど移動の希望は通らないという状況で、2人揃って、転職・結婚・移住を同時にすることを決めました。周りからは、移住先で仕事が決まってから結婚してもいいんじゃないかと色々と心配されました。確かにその心配はなくもなかったけど、完璧を待っても明るい未来がやって来なかった過去を思い出しながら、悩んで進めずに時間を持て余す方がもったいないと感じるようになりました。何も確信がないなかで決断した移住でした。

決断すると嘘のように物事は進んでいく

夫婦揃って転職先も決まらない中での移住の決断でしたが、決断してからは不思議なもので物事がスムーズに進んでいきました。まず移住先を佐賀県に決め、私が求人情報をなんとなく調べ始めると、1週間後に締め切りの面白そうな求人がありました。移住の話題が出てからすぐのことで、ドキドキしながらもとにかく面接を受けてみると、ご縁があり採用になりました。一方で婚約者は、絶対に異動希望が通らなかった会社に退職を相談すると、熟考された末に配慮して頂き九州支社に異動できることになりました。結果的に、周りの協力やタイミングのご縁もあって、自分たちがしたい仕事につけた移住の始まりとなりました。

私は東京から、夫は北海道から、フェリーに乗って佐賀へ。

移住してからの方が加速する未来

とはいっても、私の仕事は最大の任期が3年で、その後はまた違う仕事を見つけなければなりません。地方に行くと仕事の選択肢が少なくなるという一般的なイメージを持ちながら、とりあえず嬉野市にやってきました。嬉野にいる女性はどんな働き方をしているのだろうか?と気になり、外に出かけては色々な人に会いお話を伺いました。家業を継いで服屋さんを経営しながらご当地ゆるキャラを作る方、Uターンして自分のヨガスタジオを運営する方、フリーランスから旅館に転職してのびのびと子育てをする方、嫁ぎ先の家業とは別に自分の趣味を活かしたショップを運営する方、イラストレーターで活躍する方など、会えば会うほど様々な形で働く方に出会います。皆楽しそうで、私が地方の女性の働き方で描いていたイメージとは全く異なりました。起業、フリーランス、就職、副業など、自分に合った働き方をこの場所でもできるんだと、自分の未来を少し自由に想像できて励まされます。これは、移住して実際にまちの色々な方と出会ったからこそ見えてきた情報です。

Uターンして、ヨガ教室R-YOGAを運営する峰松さん。

移住先は、やりたいことをお互いに応援する優しいまちだった

嬉野市に来てから驚いたのは、情報が広がる速さ、人と人が繋がる速さ、物事が実行される速さです。「◯◯の仕事をしています」「趣味は◯◯です」と話すと、すぐに気が合いそうな人を紹介してくれたり、どこか集まる場に呼んでくれます。人が少ないので、お互いに活動する姿がすぐ側で見えているからこそ頑張る姿を応援してくれます。そして、異業種同士の仲もとても良いことに気づきました。旅館、福祉事業所、商店街、飲食店、茶農家、窯業など、常に一緒にできることはないか考えながら、一緒に取り組まれています。「今度イベントがあるからそこで一回一緒にやってみる?」なんていう小さなチャレンジも多いです。でもそれには理由があり、バブルが弾けて景気が停滞したまちで家業を継ぎ、試行錯誤してきた30代〜40代の人たちが中心となって取り組んでいるということです。個人ではなくみんなで発信していくことの大切さを感じ、自分が困った経験があるからこそ誰かの応援もしてくれるのだと思います。でもそこに暗さはなくて、「自分も楽しみながらやりたい!」という方が多く、私もそんな風に楽しんで仕事をしたいなと感じます。

みんなのやりたいことを応援してくれる、セレクトショップASAHIYAの赤澤さん(左)。

完璧な自分じゃなくて良い心地よさ

情報が広がるのが速いというと、田舎特有のじめっとした噂話が思い浮かぶかも知れません。でもどちらかというと、人の良い部分もどうしようもない部分もどちらも知ったうえでまるっと受け止める、という懐の広さを感じます。移住してすぐの頃は、「これは想定外!」という場面がたくさんありました。車を運転していると、前の車が急に停車したと思ったら対向車線の車と窓越しに世間話が始まったことがあります。何か約束したと思ったら、1ヶ月ぐらい忘れられていたこともあります。都会とは少し時間の流れが違うようです。そんな場面に出くわしても、「まぁいいか」とのんびり待つようになりました。そのかわりに、何か私が忘れたりしてもみんな穏やかに受け止めてくれます。そして飲み会では、お互いにこどもの頃から知る仲で、「あいつは〜」と若い頃の粗相の話をするのですが、なんだかそれを話す時は愛おしそうです。そういえば都会では、お店でも次の人に迷惑がかからないように行動していたし、常に指摘されるプレッシャーや迫る時間の中でせかせかと暮らしていたように思います。そんな気づきを嬉野の方に話すと「お互いさまやと思っとるけんね」と教えてくれました。赤ちゃんからおじいちゃんまで様々な年代の人と密度の濃い場所で暮らしていると、お互いに支え合うことが基本で、それがまち全体ののんびりとした柔らかい雰囲気に繋がっているんだと気づきました。

嬉野に来てからスナックデビュー!若い方からご年配の方まで、みんなの集い場。

ここにないものは作り出せるという安心感

結局、私は移住先で安定した仕事を見つけた訳でも、素敵な家を買った訳でもありません。でもこれからもし自分が望むものがここにないものだったら、絶望するのではなく自分で作るという方法もあると思えるようになってきました。嬉野にはゼロからものを作り出す人が身近にたくさんいます。ゼロから作るということは失敗もきっとたくさんあるけど、うまくいかなかった時に、支えてくれたり助けてくれる人もたくさんいる。この安心感が、完璧じゃない私でも何かやってみたいという気持ちにさせてくれるんだなと、ここに移住したことの素晴らしさを感じています。

自分で作り出す遊びが楽しくなりました。

人生の答えは一つじゃない。今何をしてもいいと言われたら、私は何をしたい?

1年前に嬉野市に移住してから、以前よりも選択肢の幅が広がり、これからの人生にワクワクしています。それは完璧な自分という理想像を目指すことを辞め、本当に自分が求めていることは何かを考え、一つ一つを選択できるようになったからです。絶対的な自信を持てるようになったのではなくて、想定外のことや期待していた反応が得られない時も、次へのステップアップに繋がると受け止められるようになったから。落ち込む時は落ち込みます。でもそんな時は「これはこれで良かったよね」と、強がりでも唱えるようにしています。不思議となんでもOKな気がしてきませんか?まだまだ「こうするべきかな?」と、誰のかも分からない価値観に影響されて悩む時もありますが、そんな私も一生懸命で可愛いじゃないかと思いながら、前よりちょっと踏み込んだ一歩を進んでみようと思っています。だから私は、自分らしい生き方や働き方を模索しながら、嬉野にやってくる人を全力で応援したいんです。

ぼーっと空を眺めながら、今どんな気持ち?と自分に問いかけます。

まずは、佐賀県嬉野市で暮らす久野とお喋りしてみませんか?

私は今、嬉野市で地域おこし協力隊として移住サポートを行っています。まだ移住するか決まっていない方から移住した後の方まで、自分らしい暮らしに繋がるように様々な情報を集めてお伝えしています。まずは私とお喋りしませんか?現地のことは現地の人に聞くのが一番。あなたの暮らしの選択肢を一緒に見つけるお手伝いをさせてください!私が答えきれないことも、私の周りには100通りの暮らし方や働き方があるので、参考になる人や情報はたくさんあります。ぜひ、以下のメールアドレスに「久野宛」であなたの理想の暮らしをご相談ください。メール、電話、オンラインなど、ご都合の良い手段でお話しさせて頂きます。新しい出会いを楽しみに、あなたの新しい一歩をいつでもお待ちしています。

お待ちしてます〜!

【佐賀県嬉野市への移住のご相談は↓】
佐賀県嬉野市役所 塩田庁舎 企画政策課
久野宛
メール:kikaku@city.ureshino.lg.jp 
ホームページ:https://www.city.ureshino.lg.jp/kurashi/teiju.html


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