横崎警察署事件簿⑤かけがえのないもの
「あーあ、もう三十六か」美佐江はケーキを頬張りながらぼやいた。
「ほんと、四捨五入すると四十よ。それなのに未だに二人でバースデーケーキ食べてるなんてね」典江は肩をすくめながら言った。
「ノリちゃんはいいわよ。手に職をつけて自分のお店を持って一国一城の主じゃない。それに比べてアタシは、しがない事務員よ」
「でもね、うまくいってればいいけど・・そうじゃないと大変なのよ」
美佐江は急に真顔になると「例の店のせいで大変なの?」と訊いた。
「うん」典江はワインが少しだけ残っているグラスを見つめながらうなずいた。
谷原典江は小さいながらもネイルサロンを営んでいる。
だが半年前に目と鼻の先に業界トップのチェーン店が立派な店構えでオープンして常連客をとられてしまっていた。
「ノリちゃんのお店は大丈夫よ、逆に向こうを潰してやるのよ。ノリちゃん、やっちゃえ。潰しちゃえ」
美佐江の目がすわっている、飲み過ぎだ。
典江はまだグラスにワインを注ぎ込もうとしている美佐江を制して言った。
「ハイハイ、もう終わりにしよ」
「どうしたの? 右手、ぶつけたの?」
美佐江は典江の右手にある青あざを見ていた。
「え? ああ、これ? 多分ね」
典江はまた肩をすくめた。そして自分と同じ顔の美佐江を見た。
典江と美佐江は双子で顔は瓜二つなのだ。
今日は彼女達の誕生日で独身の二人は料理を持ち寄って自分達の誕生祝いをしているのだ。
若い時は二人で祝うのも楽しかった。
でも高校の友達がみんな結婚して家族と誕生祝いをするようになった今、二人だけの祝いの席もご馳走もケーキも興ざめだ。
だからといって何もしないで一人アパートでコンビニの弁当を食べるのは、もっと悲しい。
それで毎年二人で祝うのだ。
典江はキッチンに食器を運び手早く洗うと美佐江に声をかけた。
「ミサちゃん、コーヒーでも入れようか?」
返事がない。
「ミサちゃん、聞いてる?」
濡れた手をふきながらキッチンを出た時だった。
のどにかゆみを感じた。
血の気が引いて頭の天辺が冷たくなる。
息苦しい
慌てて電話を手に取った。
息が出来ない。
ふらつきながら左手でのどをかきむしる。
息が、息が・・・・
意識が遠のいた。
病室のベッドに身を起こし典江はくぐもった声で話していた。
話し相手の二人は横崎警察署の刑事だ。
「子供の時からですね?」若い脇田刑事が訊いた。
「はい。二人ともピーナッツアレルギーで」
「どの料理にピーナッツが入っていたか分かりますか?」
典江はかぶりを振りながら言った。
「分かりません。子供の頃、不注意で少し食べてしまって救急車で運ばれた事があったので私も美佐江も本当に気を付けていたんです」
典江は一命をとりとめたが・・・・美佐江は亡くなっていた。
「料理は二人で持ち寄ったんですね?」沢口刑事が訊いた。
「はい、二品ずつ持ち寄って。他にワインは私、ケーキは美佐江が持って来ました」
看護師が病室に入って来て点滴を変え始めた。
二人の刑事は追い立てられるように帰った。
翌日、警察署で脇田刑事はツバを飛ばしながらまくし立てていた。
「典江の犯行ですよ」
横にいる白石刑事は無反応だ。
「亡くなった美佐江さんの会社の同僚の話では彼女は日頃から口に入れるものは厳しくピーナッツが入っていないか、チェックしていたそうです。誤って食べる事は考えられません」
「・・」
「それに典江のやっているネイルサロンの経営は思わしくなかったようです。しかも二人は三十歳の時に互いを受取人とする生命保険に入っています。保障金額は一千万です」
「・・」
「充分、動機になりますよね」
「・・」
何を言っても無反応な白石に脇田はふくれっ面をした。そしてその横で木戸刑事が思案顔で言った。
「だとしても、どう立証するの?」
「え?」
「ああ、そこなんだ。典江は自分に疑いがかからない様に危険を承知でピーナッツの入った料理を口にするほど用心深い。まさか足のつきやすいネットでピーナッツを取り寄せたりしてないだろう。おそらく自宅から離れた店でピーナッツを買ったに違いない。その店を探し出すのも大変だが問題はそれだけじゃない」
白石はため息をつくと続けた。
「やっとの思いで店を突き止めたとしても典江が買ったとどう証明する? 典江と美佐江さんは同じ顔をしているんだ。『私じゃない、美佐江が買ったんだ」と言われたらおしまいだ」
「あっ、そうか」
「もう、しっかりしてよ」木戸は脇田を睨みつけた。
その時だった。
「白石さん」
沢口刑事が足早に部屋に入って来た。くたびれた背広姿の白石とは真逆でセンスの良いスーツを着こなし洗練された物腰に『ダンディ沢口』とあだ名のある彼が珍しく慌てふためいている。
「どうした?」
「先日、病院で典江に話を訊いた時に彼女の右手に青あざがあったのを思いだして」
「何だって」
「それで亡くなった美佐江さんの遺体の右手にあざがあったか検死書類を確認したところ青あざの記載はありませんでした」
「よくやった、沢口」
「ハイ」
「すごいわ、沢口さん」
「ありがとう」
沢口を囲んで白石と木戸が喜んでいると蚊帳の外の様な脇田が尋ねた。
「あのー、どういう事でしょう?」
「青あざがあるのは典江だけなんだ。ピーナッツを買った店を見つけて、そこの店員が青あざを見ていたら典江がピーナッツを買った事が証明される。彼女の犯行だった事を立証できる」
「ああ」
「よし、早速、聞き込みだ。なんとしても店を突き止めるぞ」
バスに乗りながら典江は考え事をしていた。
今日、美佐江の初七日の法事を終えた。
この一週間、店を閉めていたから明日からはもう開けないと・・
ネイルの学校に通い卒業後十年、店に勤めながら腕をみがき金を貯めた。
そして五年前ようやく自分のネイルサロンをオープンした。
客が一人しか入れないような小さい店だがあの店は典江にとって掛け替えのないものだ。
だが強力なライバル店の出現という憂き目に遭った。
でも典江は自分の腕に自信がある。
閑古鳥が鳴いていた彼女の店に徐々に客が戻って来ている。
きっと大丈夫、時間がかかるかもしれないが持ちこたえれば常連客はもっと戻ってくる。
でもその為には金が必要だ。
資金繰りに苦心していた時に以前入った生命保険の事を思い出した。
それで・・・・企てた。
ピーナッツオイルをドレッシングに混ぜ、美佐江のサラダにかけた。
疑いをかけられないように典江自身も少しなめて危うく死にかけてしまったが・・
彼女はバスの窓から流れる景色を見ながら考える。
手ぬかりは無かったはずだ。
食器は全部、洗った。
美佐江は死んで『死人に口無し』だ。
でも・・不安でたまらない。
二人の刑事は見抜いただろうか・・
自宅に着いた典江はブラックフォーマルを脱ぎ部屋着に着替えると冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出しグラスに注いだ。
この一週間、気持ちが張り詰めていた為か体がだるい。
グラスの水を飲み干すと気だるそうにソファーに横になった。
連日のように店を探し求めている白石達だったが、残念な事に成果は得られなかった。
皆に焦りが見え始める。
日が経てば記憶は薄れる。ピーナッツを買った典江の目撃情報を得るのは難しくなるばかりだ。
そして三月経ち、口には出さないが彼らの中で焦りは諦めに姿を変えようとしていた時だった。
「白石さん、見つかりました。典江がピーナッツオイルを買った店が見つかりました」
脇田刑事によってもたらされた朗報に刑事課一班は沸いた。
「やったな、脇田くん。もう無理かと内心思っていたが・・」とダンディー沢口が言う。
「典江の写真を見せた所、彼女がピーナツオイルを買ったのを覚えていた店員がいたんです」
「信じられない、スゴイ店員ね。三カ月前にオイルを購入した客を覚えているなんて」木戸は心底、驚いていた。
「それがレジで金を出した典江の右手に青あざがあるのが印象に残って顔を覚えていたそうです」
「いいぞ、完璧だ。よーし事情聴取するぞ」
白石は一同を見渡した。
『暫くの間、休業致します』
典江のネイルサロンに出向いた白石と脇田は店舗のガラスドアの貼り紙を見て唖然としていた。
「どうしてだ?美佐江さんの死によって保険金を受け取った筈だが何故、休業しているんだ?」
「さあ・・」
仕方なく二人は三ヶ月前、事件現場となった典江のアパートに向かった。
まさか典江は自分が捜査対象になっている事を察して逃げたのでは?
白石が焦燥感に駆られながらアパートの呼び鈴を鳴らすと玄関ドアは開いた。
顔を出したのは年配の女性だった。
「あの、谷原典江さんはご在宅でしょうか?」
警察バッジを提示する。
「あ、警察の方ですか。典江の母でございます」
「実は典江さんにお尋ねしたい事がありまして。お嬢さんは今どちらに?」
「娘は入院しておりまして」
「・・そうですか。病院は横崎総合病院ですか?」
「はい。でもあちらに行かれても面会できるかどうか。典江は無菌室に入っているので」
「・・・・」
「もし良かったら私がお話を伺って娘に伝えましょうか? たまに無菌室に入るので」
「・・・・」
「警察官さん?」
「あっ、イヤ、近くまで来たので立ち寄らせて頂いただけなので。お大事になさって下さい」
「ありがとうございます」
ふいに穏やかだった彼女の顔はゆがみ呟いた。
「ああ、もし美佐江が生きていれば」
「・・・・失礼致します」
白石は踵を返すと脇田の存在を忘れてしまったかの様に荒々しく歩き出した。
脇田は白石を追いかける。
「白石さん、どうしたんですか? 白石さん」
「署に戻るぞ」
「病院に行かないのですか?」
「署に戻って課長代理の指示を仰ぐ」
「はあ・・」
「無菌室、手のあざ。典江の病気は白血病だ」
「・・で、でも回復したら事情聴取するんですよね」
「回復したらな・・」
「無理だと?」
「母親の話から察するに、おそらく骨髄移植をしようとしているのだろう。移植で大変なのは適合するドナーを見つける事だ。兄弟姉妹でも二十五パーセントの確率でしか適合しない。ましてや他人となると適合率は一パーセントにも満たない。それでも本来なら典江は移植ができた筈だった」
「どういう事ですか?」
「美佐江さんだよ。一卵性双生児はドナーとして適合する。彼女が生きていれば骨髄移植は出来たんだ」
「・・・・」
白石は母親の言葉を思い出していた。
『ああ、もし美佐江が生きていれば』
今、誰よりもそう思っているのは典江だろう
掛け替えのない片割れの命を奪った女、そしてその女の掛け替えのない命も消えようとしている
典江、死ぬんじゃないぞ、生きて罪を償うんだ
母の苦悩に満ちた表情がやるせなくて、白石は荒々しく歩き続けるのだった。
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