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今日一日のパンを



伴侶さんが、硬いパン、バゲットを焼いてくれた。

硬いパンは好物なので早速、マーガリンをつけて、美味しく頂いた。

ふと、パンを見ていたら、「主の祈り」の一節を思い浮かべた。

「日ごとの糧を今日も与えたまえ」

これは、新約聖書のマタイの6章11節とルカの11章3節にある。

マタイ6:11では、

「私たちに日ごとの糧を今日お与え下さい。」

原語では、

τὸν     ἄρτον         ἡμῶν         
トン   アルトン   ヘーモーン
      パンを       私たちの   

τὸν        ἐπιούσιον
 トン    エピウーシオン
       一日を生かす

δὸς     ἡμῖν     σήμερον·
ドス   ヘーミン    セーメロン
与えよ 私たちに  今日


ルカ 11章3節では、

「私たちに日ごとの糧を毎日お与え下さい。」

後段のみマタイと相違している。

原語では、

       δίδου                 ἡμῖν 
       ディドゥー     ヘーミーン
       与えよ.            私たちに

     τὸ    καθ’ ἡμέραν·
  ト    カテーへメラン
       日ごとに

マタイとルカの相違。

まず、「与えよ」という動詞の時称が違う。

マタイでは「ドス」で時称はアオリスト、
これは単純に動作を表し、
訳としては「与えてください」。

これに対してルカでは、
現在形の「ディドゥー」で、
未完了の継続した動作、
訳は「日々与えて下さい」となる。

おそらく、両者の相違は伝承の過程でできたと推察される。

次に「日ごとに」と訳される「エピウーシオン」は、

ルターが「日ごとに」と訳して以来このように定着しているが、
他の文献での使用例も少なく、
本来の意味もはっきりしていない。

「明日の、次の日の」という意味もあり、
「明日必要なパンを与えよ」と訳される場合もある。

ルカでは「ト・カテーメラン」で
「日ごとに」となり、

おそらく本来の祈りの言葉は同一だったろうと思われる。

また、『新約聖書ギリシア語小辞典』、『新約聖書のギリシア語文法』で有名な織田昭氏は、

「その日一日に必要な」

という訳を提案されている。

そうしたことを踏まえ、おそらく主イエスが使ったと思われる言語のアラム語で、復元アラム語のこの部分が提示されている。


復元アラム語

ラハマン ド・リ・ムハル/ド-ヨマ
(私達にパンを与えてください)

ハブ ラン ヨマ デン
(私達が今日必要とする)

これがオリジナルに近いのではないかと思う。


人が具体的に生きていくために必須のもの、
いわゆる「衣・食・住」の問題がこの祈りにはある。

豊かになった日本ですら、
今日一日、
生命をつなげるかどうか分からない生活をしている人たちがいる。

「その日一日を生かすパン」の意味は、
文字通りその日のパンに困っている人々には衷心からの叫びではないかと思う。

そして、逆にまた、有り余る食糧の中にあり「パン」を持て余す者たち、
ことさら私たちに対して、鋭く問いかけてくる「祈り」ではないかと思う。

硬いパンを噛みしめながら、感謝するとともに、主の祈りを思い浮かべた。

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