見出し画像

許すということ

未だに年末の紅白歌合戦のMISIAの録画を何度もリピートして

毎回泣いている私です。あれは感動しすぎる

#基本よく泣きます

今日は私が読んでいるメールマガジンで皆さんに共有したい話がありましたので書きたいと思います。

その内容を読んで【許す】ということについて考えてみたいと思います。

引用元:塩見志満子(知的障碍者施設「のらねこ学かん」代表)『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』より

長男が白血病のために
小学二年生で亡くなりましたので、
四人兄弟姉妹の末っ子の二男が
三年生になった時、私たちは

「ああこの子は大丈夫じゃ。
お兄ちゃんのように死んだりはしない」

と喜んでいたんです。

ところが、その二男もその年の夏に
プールの時間に沈んで亡くなってしまった。

長男が亡くなって八年後の同じ七月でした。

近くの高校に勤めていた私のもとに
「はよう来てください」と連絡があって、
タクシーで駆けつけたらもう亡くなっていました。

子供たちが集まってきて

「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。

「どうしたんや」と聞いたら十分の休み時間に
誰かに背中を押されて
コンクリートに頭をぶつけて、
沈んでしまったと話してくれました。

母親は馬鹿ですね。

「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、
 学校も友達も絶対に許さんぞ」

という怒りが込み上げてくるんです。

新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、
同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら
駆けつけてきました。

そして、私を裏の倉庫に連れていって、
こう話したんです。


「これは辛く悲しいことや。

 だけど見方を変えてみろ。

 犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、
 過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、
 という罪を背負って生きてかないかん。

 わしらは死んだ子をいつかは
 忘れることがあるけん、
 わしら二人が我慢しようや。

 うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、
 校医の先生に心臓麻痺で死んだという
 診断書さえ書いてもろうたら、
 学校も友達も許してやれるやないか。
 そうしようや。そうしようや」


私はビックリしてしもうて、
この人は何を言うんやろかと。

だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、
仕方がないと思いました。
それで許したんです。友達も学校も……。
 
こんな時、男性は強いと思いましたね。

でも、いま考えたらお父さんの言う通りでした。

争うてお金をもろうたり、
裁判して勝ってそれが何になる……。

許してあげてよかったなぁと思うのは、
命日の七月二日に墓前に
花がない年が一年もないんです。

三十年も前の話なのに、
毎年友達が花を手向けてタワシで
墓を磨いてくれている。

もし、私があの時学校を訴えていたら、
お金はもらえてもこんな優しい人を
育てることはできなかった。
そういう人が生活する町にはできなかった。

心からそう思います。


いかがでしたでしょうか。

私にはとても真似できそうもありません。

今、世間の風潮は失敗は許されない。一発退場のような雰囲気があります。

それだけ人を許すという行為が難しいことなんだなと思います。

私にも許せない人がいます。その人に対する怒りで辛いときがあります。

そんなとき、その人のことをいっそ許せたらどれだけ楽になるだろうといつも思います。


そうなんです。

もし許すことができたなら楽になれるんです。

怒りや憎しみは連鎖を生み、その連鎖は周りの人も自分をも苦しめます。

とても難しいことだけど、この話のように許すことが出来たなら楽になるだけじゃなく自分や周りの人を優しくすることができると思う。

すぐには出来ないと思うけど、私も人を許せる人間になりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?