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『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス)。未来の自分に本棚を。

HAKOMACHI 6/31冊目

こんにちは、せいたです。
神保町の棚貸し本屋で1ヶ月限定の棚主を始めて6日目になります。
そしてなんと!はじめて本が売れました!しかも2冊!

今日と明日はその2冊を順番にご紹介します。


記念すべき1冊目の本との出会いは、中学校の読書感想文でした。選択式の課題図書の中で、明らかにタイトルから異彩を放つその本を僕は無視できませんでした。

今から15年近く前、その頃は日本でのドラマ化やタイアップもまだ多くはなく、大きな書店でやっと見つけることができました。
本を開くと、見たことのない文体。設定を知って、なるほど、そういうことかと。
文学だからこそできるその表現に、心が震えたのを覚えています。
あと、訳者ってすごい。

文体で遊ばれるおかしさ、文体で遊ぶ楽しさ、そのことに気づかせてくれた作品です。

『アルジャーノンに花束を』 by ダニエル・キイス

主人公のチャーリー・ゴードンは、知的障がいを持つ青年。
物語は、彼の日記であり、「経過情報」としても記録をされていきます。
書き始めた時には、言葉も赤ちゃんのようで、文体も定まらない。
そんな彼に、とある大学教授から、賢くなることができるという実験に誘われます。

大学教授から説明を受け、その実験には先輩がいることを知るチャーリィ。
先輩の名は、アルジャーノン。被験体のハツカネズミで、その時のチャーリーよりも高い知能を持つことをテストで見せつけます。
それを見て、自分も実験を受けることを決めるチャーリー。
抵抗しながらも、順調に実験は進んでいき、チャーリーの知能は、みるみる間に向上。発表された海外の論文を、原文で読むまで知能を向上させていきます。

その過程で、彼はIQが上がる前には知らなかったことに気づいていきます。
仲良くしてくれていると思っていた友人に自分はからかわれていたこと。
知的障がいのある人々が社会でどんなふうに扱われているか。そんな背景もあって母が自分を疎ましく思い、捨てた過去。

果たして、賢くあることは、幸せなのか。
全てを知っていくことは、喜びなのか。

そんな最中、先輩であるアルジャーノンに異変が起こります。
チャーリーが調べていくと、残酷な事実がわかります。
実験により知能を上げることはできても、知能の発達に性格が追いつかず、社会性を損なうこと。
そしてやがて、知能はピークに達すると以前よりも低く落ち込んでいくこと。

必死でその解決法を探るチャーリーですが、ついには元の知的障害者に戻ってしまう。そして退行していく知能で、最後にアルジャーノンの墓に花束を供えてやってください、そうしてこの日記、経過報告を締めくくるのでした。

能力が思いを追い越した時に起こること

実に切ない物語ですね。なんだかやりきれない、そんな気分になります。
僕の生活にこの物語からの気づきを落とし込むとするなら、どんな時も思いが能力を上回ることの大切さです。
知的障がいを抱えていたチャーリーは、賢くなりたい、と臨みますが、その知能によって流れ込む情報の捉え方に苦労します。
友人との関係で、自分が馬鹿にされていたこと。
母に疎まれ、捨てられてしまったこと。
幼児の時代の性格ではなかなか受け止めがたい出来事です。
そして自分の正義を振り回すようになり、社会性も失っていく。
一方で退行していく知能の中で、チャーリーは共に過ごしたアルジャーノンのことを思うことは最後まで忘れませんでした。
その最後の言葉の美しさに、僕は、たしかに、心動かされたのです。
思いが能力を上回ること、その瞬間に、僕たちは、心揺さぶられるのだな、と改めて思いました。

この気づきは、中学2年生で佳作をとった時には、得られなかった物でした。
技術ではなく、人としての経験を通して、感じられたことでした。
だから、この気づきは、この本との再会は、あの頃の自分からのプレゼントのような、花束のように思えるのです。
「人の心に気づくことができるようになったね」

さて、次の15年、未来の自分に僕はどんな花束を渡せるでしょう?

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