慶應横浜初等部 福翁百話 本音と建前
慶応横浜初等部、願書のお題。毎年の福翁百話から慶応幼稚舎と同じく福翁自伝へ変更があったようですが。
横浜初等部目指している家庭は福翁百話読み込んでいたのではないでしょうか。
私も何冊か購入して、原文と照らし合わせて読んでいました。
もっとも感銘を受けた部分。願書に書くのは子育てのエピソードや学校に活かしたいことなどと絡めて書く必要があったので、ある程度建前も重要だと思うのですが、
私の本音での感銘を受けた部分、娘の教育に関して影響した部分は2つあります。
1つ目は「先ず獣身を成して後に人心を養え」
これは他書でも述べられていますが、何度も強調される
教育における基本。子供の死亡率が高かった明治時代だけでなく、これは現代にも当てはまることだとおもっています。獣身(獣のような身体)と大袈裟な表現を、つかってまで身体作りを大切だと考えていたと言えます。
“お受験”のため、早期の知育のため、英語教育のため
外遊びをげずって早くから勉強をさせるのは??
って意見は福澤さんに大賛成です!
そして2つ目
74話です! これは1番私がすきなところです。
以下要約は理英会のブログから引用
教育の効用は必ずしも効果的に現れるようなものではありません。
外国留学をしたけれど、これといった成果がないまま帰国したというケースはよくあります。
また、公教育の費用に大金が投じられていながら、学業の進歩はその費用に見合っているのでしょうか。
教育は割に合わない。
値段の高いもの。
このような批判的な意見をお持ちの方もいることでしょう。ただ、その大切なお金ですが、「富貴は浮雲のごとし」と言って、財産はただある時にあるというだけのものでしょう。なぜ大切なのかという根拠も忘れ、貯めこんでいるような人が多いように思います。
確かに、教育の成果は広大なものとは言えません。しかし、一方で教育に費やすために必要な「お金」も、そこまで貴重にしまっておくものではありません。
ただ、身の外にあるお金が跡形もなく消えてしまうことの多いのに比べ、身についた教育が失われるという心配はありません。
こういうわけで、私は公的にも、私的にも、子どもの教育に金銭を惜しんではならないと思います。
幸い、私は物欲がないので、高級腕時計、ブランドの服、高級外車、靴など、まったく買わない主義です。
その分娘の教育費にぶっこむ。親バカかも、しれませんが、この福澤さんの福翁百話73は私の家庭の方針になっています。
でも、こんな本音なかなか願書にかけまけんよね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?