「25時、赤坂で」の最終話の対比構成の美しさについて語りたい!

丁寧に創られている作品って、伝えようとしている感がないのに、観ている人の心にダイレクトに伝わって、ぐっと掴んで離さない力があるよね。
まさに、『25時、赤坂で』がそんな作品だったなって思っている。

最終話、一言で言うと「羽山と白崎の誤解が解けて、お互いの気持ちを通じ合い、イチャイチャ過ごしましたとさ。おしまい」で終わるシンプルさなんだけど、なんか「エモい!」
何がエモいのかと言うと、1話から丁寧に創りあげられた時間の積み重ねが、視聴者にも伝わってくる感じかするからエモいんだと思う。

急に話は逸れますが、私ミュージカルオタク(以下ミュオタ)なんです。
3歳くらいから、周りがドン引きする位には、色んな作品を見まくっています。
それこそ、一度見たことある演目を3年後に再度観劇すること日常茶飯事的な。
で、その再演作品を見る時に、上演中の作品を見ながら、脳内で前の舞台を思い浮かべる。通称、「心の中の映写機機能」を使って、視覚は現在の再演、脳内では初演の舞台を同時に観ることがあるんだよね。
(「心の映写機」とは、ミュージカル界のプリンス、井上芳雄さんが言っている言葉を引用。「舞台って残らないけど、皆さんの心の中では残る。心の中の映写機でずっと作品は見られるよ」というニュアンスの言葉)

例えば、4年前の初演をの脳内再生させながら、肉眼では再演の舞台を観ているみたいな。
(ミュオタで、初演と再演で「これが変わった!」って詳細を超話す人いるじゃん。なんで4~5年前の過去作品覚えてるんだって思うでしょ?多分、ミュオタは心の中の映写機機能を持ってて、初演時と再演時を同時再生しながら見るっていう、器用なことをしている人が多いと思うんだよねー、うん)

で、何が言いたいのかというと、『25時、赤坂で』の最終話は、心の中の映写機が勝手に再生されるような不思議な感覚だった。
いや、「こわっ」て思った。だって、"最終話は初めて見る話"なはずなのに、過去の『25時、赤坂で』のシーンが勝手に脳内再生され始める。
まるで、走馬燈のように、過去のシーンを思い出しながら、最終話を見るという不思議な初経験をして・・・。

なんでなんだろうなぁーと思ったら、8話のやまさくコンビがちゃんと答えを示してくれていた。
具体的には、白崎くんが正体不明になるバーのシーンで、佐久間と山瀬が「昼のゆめ」に関する会話でこんな話をしているんです。
【以下やまさくシーンの引用】
山瀬「いいラストですよね」
佐久間「1話との対比で構成されてて、視聴者目線めちゃくちゃエモい」

私は、このシーンを思い出して、「それだ!」と思ったの。
どういうことかと言うと、『25時、赤坂で』は「最終話」と「1~9話まで」の対比、および「恋人ごっこ」と「付き合ってから」の対比でほとんど構成されているんだ!と。
だから、「最終話を見ていると過去の映像が勝手に脳内再生される(心の映写機機能が勝手にスイッチオンになる)んだ!」とめちゃくちゃ納得してしまった訳なんですよ。
しかも、憎いなーと思うのは、映像で座っている立ち位置が「羽山」と「白崎」が逆になっていたり、微妙に表情の変化があったり、逆に過去シーンに寄せてきたりしているところ。
なんというか、何度も何度も見返して、対比しながら見たいって思わせたくなる作りよね。それだけ、創り手の熱量と愛情を感じて、私はこの作品がとっても好きだなと思う。
…ので、ブログ読んで、気になった方は円盤を買うか、U-Nextで見てね!(オタクは安易に布教をする)

という前置きが長くなりましたが(え…?前置きだったの?って長さでなんかごめんなさい)、私が最終話と、過去のどのシーンが「対比構造になっている」と感じたか、1つずつ説明していきたいと思います!
(ほぼ全シーンが対比だからとんでもない量の説明量になりそうだな…ごめんなさい)

では、書き方を説明。
・【最終話】 → 【○話】 これはどの対比シーンかの説明
・「∟」以降の文章は比較
・感想:や()は、私の、溢れ出てしまった思いを書いています。
・「1.」「2.」などは、最終話のシーンを章分け
(なお、羽山麻水を「羽山さん」と「麻水さん」の両方使っているのは意図的です)

では、スタート!


⒈「帰らないで」から中2階に向かうまで

【最終話】「羽山さん?」からの玄関に向かう白崎君を羽山さんが引き戻す 
→【9話】「抱いてくれませんか?」の流れからの、白崎くんが玄関に居る羽山さんをベッド引き戻す

【最終話】羽山さんの「帰らないで」 
→ 【6話】羽山さんの「帰らないで」
 (感想:ここの何が良いって、言い方もそうだけど、6話では白崎くんを触れていないのに最終話は思いっきり頭を掴みながらってのがいいよね!)

【最終話】羽山さんが白崎くんに初めて手の甲キスからの一歩下がって絶望表情で離れる…。からの、白崎君が袖を掴む 
→ 【9話】白崎くんが羽山さんに初めて自分からキスを仕掛けてからの絶望表情で離れる…。からの、羽山さんが腕を掴む

2.中2階へ~腕枕まで

【最終話】羽山さんが白崎くんの腕を掴んでベッドへ向かう。服を脱がす相手は白崎くん 
→ 【9話】白崎くんが羽山さんの腕を掴んでベッドへ向かう。服を脱がす相手は羽山さん

(ここまで9話との対比、かつ「羽山と白崎」の対比のみだけど、ここから他の話、かつ「昼のゆめの亮二と拓海」のシーンの対比も混ざり始める)

【最終話】白崎くんの「好きです」「好き」 (ここは2つが対比構造)
 ∟①【最終話】最初の口元に右手置きながら(羽山さんを見ずに)「好きです」
 → 口元に左手置くのは拓海の癖…【9話】「昼のゆめ」のラブシーンの
口元に左手を置く・【6話】(心臓のシーン)「ずるいよ、涼二さん」のあと口元に左手を置く

  ②【最終話】羽山さんを見つめて、羽山さんの耳を触りながら「好き」 
→ 【5話】「練習する?俺たちのキスシーン」以降の、キスの時は麻水さん&涼二さんが、白崎くん&拓海くんの耳を触りながらキスをする。
∟このシーン以降、キスするときは麻水さんは白崎くんの耳を触っているので、これは麻水さんの癖

 [感想:ここ、めっちゃいいよねって思う。なぜなら「昼のゆめ」の時間も、「恋人ごっこ」の時間も、白崎くんにとってきちんと意味があったんだって感じられるシーンだから。
だって、思いがあふれた場面で自然にそれぞれの癖が出ちゃうってことでしょ?
拓海の癖と麻水さんの癖が、自然に出てしまうのが、「相手に染められている感」でとてもいい。
白崎くんが、本当に羽山さんの色に染まっているというか、「自分の癖」ではなく、他人の癖になっているところに、「そういった経験がない(恋人いたことない)」ってことの根拠になっている。そりゃ、麻水さんの立場からするとたまんないよねーって思う。
(そして、この動きを提案したのは新原くんなんじゃないかなって思うし、何故か9割方、私の想像が当たっている気がするんだな笑)]

【最終話】白崎くんが上になってキス 
→【9話】羽山さんが上になってキス
(感想:これは、白崎くんの9話の途中で止められたトラウマだよな、止めて欲しくないから自分が上になったよな…と思って見ていて、心臓が痛い)

【最終話】真っ赤になるまで握られた手と、羽山さんがぐちゃぐちゃにする白崎くんの髪 
→ 【9話】「昼のゆめ」ラブシーンのゆっくり握る手(最終話と逆の手)と、見つめる拓海 
∟ここは言わずもがなだけど、最終話のこのシーンは全部が昼のゆめのラブシーンとの対比

【最終話】ラブシーンラストの羽山さんが白崎くんの唇を触る 
→ 【4話】ニョッキを食べながら「ついてるよ」で羽山さんが白崎くんの唇を触る
(感想:ここもいいよねー。そして、白崎君は4話では1話のキスを思い出していたけど、多分最終話では1話のキスを思い出している余裕はない)

【最終話】腕枕からの「麻水さん」 
→【3話】腕枕からの「白崎君はさ、」
 ∟寝ている向きが逆!

【最終話】何も言わずに、白崎君の涙にキスをして頭をなでてギュッと抱きしめる羽山さん 
→【3話】白崎君が麻水さんの方を向いて「子供みたい」と言ってくっついて寝る
(感想:湿度!!!)

3.坂のシーン

【最終話】白崎「麻水さん!麻水さん!麻水さん×5」 
→【6話】白崎「麻水さん」羽山「もっと読んで」白崎「麻水さん」羽山「もう1回」 
∟6話で麻水さんが、白崎くんの肩にもたれるから、白崎さきくんから抱き着く対比がいいよね。
毎週見てきた視聴者からすると「麻水さん!」の言葉が、「好き」よりも唯一無二の愛の言葉だよなーと思う。
[感想:最終話の冒頭で羽山さん「好き」って言えよ!と思うけど、麻水さんの場合、もはや「好き」で表せないくらいに愛が重い(砂糖を限界まで煮詰めて鍋が焦げそうなくらいに重い…)から、「好き」ではないよなと思ったので、私は冒頭に言葉になってなくても良かったと思う派です]

【最終話】白崎くんの好きな景色を、麻水さんが手を引いて坂を上る 
→ 【3話】白崎くんの好きな景色を、白崎くんが先導して坂を下る

4.「昼のゆめ」座談会のわちゃわちゃシーン

【最終話】山瀬の「由岐じゃん、何でいんの?」 
→ 【5話】脱衣所シーンの山瀬「好きなんですか?由岐のこと?」
∟ここは、5話の羽山麻水「山瀬君には教えない」の、麻水さんからの山瀬への回答と考察できるのが、いい脚本だなぁと!
最終話で山瀬が白崎くんに尋ねているのに、羽山さんから「俺が呼んだんだよ」と言うのは、羽山さんの山瀬に対して「白崎くんのことが好きだし、付き合っているからな」の牽制なんだろうなーと思って、山瀬的、5話の答え合わせだよね。

【最終話】山瀬「ふーん…」 
→ 【4話】山瀬「今、話題の白崎さんじゃん」
 ∟ここ、両方舌ペロしてる!4話は白崎に対して!最終話は羽山に対して!
  山瀬の挑発対象が羽山→白崎に変わっているよねという訳で、ここも対比!

【最終話】佐久間「また飲み行こう!4人で」白崎「はい!」「お疲れ様でした」
 →【1話】顔合わせの佐久間「(白崎に)よろしくお願いします」白崎「…(頭だけ下げる)」
∟最終話も白崎くん成長物語をしっかり描いているところが丁寧だなぁと。白崎くん、他人に挨拶ができるようになったね!と温かい気持ちになるシーン

5.「昼のゆめ」最終回視聴シーン
【最終話】羽山ひとり大画面テレビで「昼のゆめ最終話」視聴していると思いきや、足元に白崎くん 
→【8話】大学の映研でひとり、自分のデビュー作を見る
∟同じ構図だからこそ、「良かったね!」が伝わりますよね

【最終話】白崎「終わっちゃった‥」麻水「さみしい?」白崎「寂しい…猛烈に…」麻水「ふっ(はにかむ)」 
→ 【3話】カレーを食べながら白崎「うまっ」麻水「ほんと?」白崎「店の味がします」麻水「…ほめ方が独特だなぁ…」 
∟ここも多分対比。最終話、はにかんだときに視聴者は「あっ、今、感想が独特だなあって思ったよね?」と想像できる会話になっているところがいいなと思う

(対比じゃないけど感想:
白崎くんが「どうせまた、(麻水さん)誰かの恋人役やるんだろうし…」と拗ねているシーンを見ると、
5話で山瀬に「恋人役の相手、好きになったりしないんですか?」と言われたときに麻水さんが「無いよ、そういう経験は。」とハッキリ言ってくれて良かったねって思うよね。
 『25時、赤坂で』の特徴である、1回目に見た時と、最終話や7話まで観た後の「シーンに対しての感じ方が違う」が、ほんと随所に散りばめられているので、作り手の熱量を感じる。)

◯以下3シーンは主に構図の対比
【最終話】麻水さん「白崎君のおかげだよ」白崎くんが見上げる 
→【4話】ニョッキ作りと同じ構図(左右位置は逆)
 【3話】ドライヤーシーンの麻水さんを見上げるシーンと同じ顔と構図(正確に言うと7話の麻水さん目線のシーン)

【最終話】白崎くん「それは俺の台詞です、麻水さんが居てくれたから」
 → 【2話】羽山さんの「恋人にならない?」に対して白崎くん「やりますっ!」
∟ここも、左右が逆なんだけど、白崎くんがソファで麻水さんの方を向いて話すのは一緒

【最終話】麻水さんが白崎くんをソファに押し倒して、白崎「麻水さん、くすぐったいです!」からのいちゃいちゃ 
→【2話】羽山「タコみたい」
∟2話は白崎くんが覚悟を決めて羽山さんに向き合っているのに、羽山さんが「やらないよー」と言って起き上がらせている。
(感想:最終話は、羽山さんから仕掛けにいって、絶対やるだろ、起き上がらせないだろって言うのが想像できる笑 同じ構図っていうのがいいよね)

6.翌朝
【最終話】麻水さんがコーヒーを淹れる。そして、白崎くん用に砂糖とミルクを麻水さんが混ざる。白崎くんが「うまっ」 
→【1話】羽山さんが砂糖とミルク入りコーヒーを自販機で買って、白崎くんが「おいしっ」
(感想:今までは、羽山家で白崎くんが自分でお砂糖ミルクを入れていたけど、麻水さんが入れて渡すようになったんだねーっていうのが、リアル恋人距離感って感じ。
そして、白崎くんの「おいしい」が「うまっ」になったのも、距離が縮まった感じがして、一貫して丁寧な描写になっているのがね…人物の距離感に矛盾がないのがね、いいよね!)

【最終話】麻美さんの部屋を自由にうろうろして、デスクの上の写真立て(「昼のゆめ」)を見る白崎くん 
→ 【6話】麻水さんい毛布をかけるためにデスクの近くに寄って、仕事の資料を見る白崎くん
∟6話は「遠慮」や「申し訳なさ」や「さみしい(哀)」が伝わる描写に対して、最終話は「自然体」で「興味の赴くまま」に「懐かしいや嬉しい」が伝わる描写って対比。
(ちなみに、写真の現像…下手と私は思った。これも、2話のデートで「自撮り」が下手な羽山さんと同じで、「写真の現像が下手な羽山さん」にしたかったんでしょうかね?
結構、私、この設定好き。なんでかと言うと、今までは、あくまでも「被写体・撮られる側」の受動的な羽山さんが、白崎くんと一緒にいると「撮る側や、現像する側」という能動的な立場になるってのがいいなぁって)

【最終話】合鍵渡して、麻水さん「いつでもうち来ていいからね!」からの麻水さんに抱き着く白崎くん 
→【4話】「良かったら食べて」でショートケーキもらう、からの麻水さんに抱き着く白崎くん
∟本当に綺麗な対比だなと思う好きなシーン。
4話は、白崎くん、抱き着くというより、頭突きだし(笑)、麻水さんは目を見開いてからの控え目にハグ。 
対して最終話は、白崎くん頭突きじゃなく、勢いあっても綺麗に抱きついていっているし、麻水さんも白崎くんの行動が予測出来ていて、腕を伸ばして抱きしめに行っている(なんなら肩を抱いている)のが、2人の時間の経過を感じる。(白崎くんが「ハグしてもいいですか?」って聞かないあたりもね!)

【最終話】麻水さん「どうする?朝ごはん食べる?」白崎くん「後でいい」
 →【6話】寝ている麻水さんに白崎くんが「もっと仕事優先して欲しいっていうか(独白:本当はもっと話したい)」
∟麻水さんのズルさが目立つシーンではありますが(笑)、ここは「白崎くんが本音で麻水さんに話せるようになった」ことを示す大事な対比だなと思う。
6話で、寝ている麻水さんにさえ「本音」ではなくて「建て前」しか言えなかった白崎くんが、起きている麻水さんに自分の欲望のまま「タメ口」で自分の「本音」を話せるようになっているというのが、エモい!

【最終話】麻水さんが付けたであろう白崎くんの寝ぐせを直しながら麻水さん「後にしよっか」 →【1話】佐久間くんにぐちゃぐちゃにされた髪を直しながら羽山さん「変わってないな~、白崎くん」
(感想:
佐久間くんが8話で言っていたとおり、「1話との対比なんだよ!この1シーンが『25時、赤坂で』がいかに丁寧に創っているかが伝わるんだよ!!」
と私は思っていて、ブログで書きたくなるくらいに良いって思ったエモさ!
 1話で、初めて白崎くんに羽山さんが触れるシーンの対比を最終話の最後に持ってくるのが「エモい!」と思う。

しかも、対比がすばらしく良くて。
1話では「他者」がぐしゃぐしゃにした白崎くんの髪を羽山さんが直す目的で触れる。
それに対して、最終話では「自分」がぐしゃぐしゃにした白崎くんの髪を麻水さんが直す&スキンシップとして触れる。
「他人」から「恋人」という関係になったことをこれほど示す対比はないなと思う。

あ、なぜ最終話で「白崎君の髪を麻水さんが自分でぐしゃぐしゃにした」と言えるのかというと、最終話冒頭のラブシーンで、白崎くんの髪をぐしゃぐしゃにしながら抱いているのと、腕枕にながら髪に手を入れているから。
麻水さんが、白崎くんの髪が大好きなのは3話のドライヤー以降さんざん出てくるので言うまでもないし。
白崎くんの寝ぐせのつき方が独特すぎて、絶対、麻水さんのせいの寝ぐせだよなって(しかも、多分白崎くんは気づかない)
寝ぐせって付いている本人が気づかない代表例じゃん。
(「ジョハリの窓」の説明とかにもよく使われる、自分は気づけないけど他者は気づくものの代表例)
白崎くんには見えなくて、麻水さんしか見えない。
もっと言うと、外に出る前には、白崎君の髪の毛はセットされるわけだから(麻水さんが白崎くんの髪のセットもやりたがりそう…)麻水さんしか知らないんだろうな…。

さて、私は特に5話6話の麻水さんの行動に、ものすごい独占欲というか執着心(愛の重さと言い換えておこうかな)を感じていた派なので(私だったら自分が恋人にされたら重いわって逃げたくなると思う笑)
麻水さん、好きな人(白崎くん)に寝ぐせを付けて、その姿は自分しか知らなくて、自分が直すって、ものすごく独占欲を満たされそうだな…と思って。

「8年の片思いが実ってよかったね、羽山さん」と思う。
そして、そんなラストが1話の対比として、寝ぐせを直すだから、キスをするとかよりも最大級の愛情を感じるので、いいラストだなと思う。)

(ここで締めたいところだけど、対比がもう1つあって…)
【最終話】中2階寝室へ階段をのぼる2人 
→ 【1話】地下のゲイバーへ階段でおりる
きっかけが「おりる」場所にあったことに対して、ラストが「上っていく」描写。これも、いいよね。

以上、めちゃくちゃ長くなったんですが、すごくきれいな対比の構図だなあと…。
図解にしたい!って思うくらいに、最終話が1秒ごと対比構造になっていて、最終話がめちゃくちゃエモかった!

スタッフが丁寧に創ったことが伝わるし、「最終話」と「それ以外」の対比で、違いが丁寧に分かる演技をしている駒木根さんと新原くんがすごい!って思う。
そして、ものすごい熱量と愛情を込めて創ったんだろうなあって伝わってくる。
なんか、素晴らしい作品に出合えてよかったなと。 
見つけて良かったなと思える作品でした。
「25時、赤坂で」大好きです!ありがとうございました!

(最終話での対比を書いたんだけど、「最終話」ではない場所でも対比を感じたことがあるんだけどさ…さすがに長くなるのでここまでにしておく!
なんなら、羽山麻水の「言葉遣い」だけでも8,000字書ける!笑
ほんと、1話分だけでここまで長々書き出すから、オタクって厄介な生き物だよなーと…。)






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