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【男の自画像-12】エピローグ noteの皆さんに心からの感謝を、ありがとう!

  30年前のメモは、NYのホテルのメモを最後に突然に終わっている。何故なのかは思い出せない。最後のメモを無くしたとも思えない。

  渡米のメモは、かなり意識して詳細に書いていたと覚えているが、最後は突然に終わってしました。

「熱しやすく、冷めやすい」という僕の性格なのかもしれない。

  今は、2023年だ。ちまたでは生成AIが話題になっている。生成AIに質問すれば、たちどころに回答してくれる。なんと絵やイラストまで合成して作成してくれる。その真偽はともかく、自分で考えるためのたたき台をあっという間に作成してくれる。参考情報として「熱しやすく、冷めやすい人の特徴は?」と生成AIに質問したら、


▼マイペースで気分屋
  熱しやすく冷めやすい人は、基本的にマイペースな傾向があります。自分の好きなものや興味のあるものには夢中になります。

▼好奇心旺盛
  熱しやすく冷めやすい人は、好奇心が非常に旺盛といえます。未知のものや流行のものに目がなく、面白そうだと思ったら後先を考えず、直感で手を出す傾向があります。


  う〜ん、自分でも納得できる素晴らしい回答だ。渡米のメモが突然終わってしましたのは、僕の性格が原因だと言うことにしておこう。海外視察は、初回のアメリカに続いて、イタリア、フランス、トルコ、スペインを訪ねた。イタリア以降は女房とのツアー旅行だ。
 写真は、いっぱい残っているが、生憎ツアーの行程表を捨ててしまったので詳しい観光地がわからない。そこで、またまた生成AIの出番である。
 パソコンに表示された写真を生成AIで検索すると、その観光地がわかる。驚くのと同時に、こんなに検索できるのは怖い気がする。世界中が写真で監視されているわけだからな。
 クラウドに保存している写真も生成AIの検索対象になっていないだろうか?個人情報は、守られていないのではないかと不安になるよ。

 そう思う反面、これからは数年前の海外旅行のエッセイを書こうとも考えている。なんせ写真はいっぱい残っているし、その場所に関する情報は生成AIで検索すればあっという間にアクセスできる。後は当時の思い出を綴れば良いのだから良い。エッセイを書くのは、意外と楽ちんかも・・・

僕は、海外で何を学べたのか?
 
僕が海外で学べることは多岐にわたる。以下にいくつかのポイントを書き出してみる。
(1)視野を広げる重要性とその恩恵
  海外視察は、文字通りの意味で視野を広げるということだ。海外での生活は、日本とは異なる文化や価値観に触れる機会となる。また他人の価値観を理解し、尊重することで、視野が広がり、多様な視点から物事を見ることができるようになる。

(2)日本の欠点と可能性
  海外視察を通じて、日本の欠点も見えてくる。海外から学べる素晴らしいものも多くある。例えば、世界の政治・経済・軍事・外交の知識を深められる。また街のゴミや路地裏の風景は、その街の生き様などが垣間見られる。

(3)防犯意識の違い
  海外で生活する際には、詐欺やスリ、強盗などから身を守る術を学ぶ必要がある。日本で育った僕たちは無防備な行動になりがちだが、海外は違う。

 パリのシャンゼリゼ通りの散策で疲れたので、ベンチで女房と2人で休んでいると、数分もしないうちに若い男2人が寄ってきた。ベンチは、2人掛けのベンチの背もたれがくっついている4人掛けのベンチだった。

 一人の男が僕の隣に座り、もう一人の男が反対側に座ってきた。ツアーガイドから、この手のスリのやり口を聞いていたので、すぐに女房と席を立って何とか難を逃れた。

 スペインでも狙われた。僕たち夫婦は、のほほんと見えて格好の餌食だったのかもしれないな。9月のスペインは、深夜9時でも真昼のように明るい。女房と二人でホテル前の公園のベンチで景色を楽しみ、その辺をぶらっとしようかと公園の脇道に入ったら、すぐ後ろに20歳過ぎの男達が、後ろから付いてきた。

 男達が二手に分かれようとしたので、僕たちは、すぐに公園に戻った。公園には、数人の観光客がいたので、男達は追ってこなかった。

いゃ〜、スリリングな体験だった。

 海外視察は、宗教や文化の違い、価値観の違いを知ることが出来る。僕は、西洋美術には興味があった。宗教画の素晴らしさに憧れもあった。
 もう一つは、「戦争」の傷跡を直接観ることが出来た。このことも感慨深い。大げさに言うと「人類」というレベルで考えられる機会を得られたことが一番良かった。勉強になった。

 そして、「人類」の共通語は、喜怒哀楽の表現だと再認識した。特に「笑顔」は、人類を幸せに出来る最高の共通語だ。

 30年前の書きかけのエッセイをがんという病になったことで見直すことが出来た。もし、がんになっていなかったら、このエッセイは、パソコンのゴミになっていたことだろう。ゴミがどう生まれ変わったのかは、読んでいるあなたにお任せするが、僕としては、自分の人生を振り返られた良い機会となった。

 何よりもがんになって死への不安と抗がん剤治療や放射線治療の辛さを「自分の気持ちを文章にする」という行動で、自分の不安が軽減される。例えれば、免疫力がアップしたようにも感じられる。

この事が分かっただけで僕は、十分救われている。

 だから、本書を加筆修正したり、「徒然草」と称して原稿用紙等に書き残したりしている。このきっかけを作ってくれたのがnoteの環境である。
 皆さんからの応援に心から感謝し、筆を置くことにする。

ありがとう!

がんになってから、「お布施をすると気持ちが変わる」ことに気がつきました。現在「認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ」に毎月定額寄付をしています。いただいたサポートは、この寄付に充当させて頂きます。サポートよろしくお願い致します。