助けるについて

スタッフを沢山雇ってこの人はこう、あの人はこう、とその違いは?と、色々考えていく、

特に、眠りから覚めたときにうつろうつろ布団の中で色々思いめぐらせているとこういうことかなぁーーーって整理が少しされるような気がします。

今日は、助けるについて

私は本当に来るもの拒まずで、無差別にいろんな方を雇うので周りに心配させてしまって、すまないなぁ、と思いながらも、1日でも早く見分ける力がついて雇う雇わないを決めれるような人になりたいと、

この無差別方式は、私が私の経験値を早く伸ばしたいから起こっている「現象」なんだと思うんですね、
いろんな動画でそういうことは自分を大切にしないことと同じだから、やめなさいと言われているけど、

で、わかったことが、一緒に働いていると「疲れる人」と「疲れない人」があって、その違いって何だろうと

私はひとりでお店をやっているので、とにもかくにも1日1秒たりともその原因と解決が欲しくて、
脳みそをフル回転させてショートするぐらい回転させて答えにたどり着こうとする習性が、最近の私の「現象」です。

日々の営業のための仕込みや仕入、イベントの告知や段取り、行政への対応、その他多くの課題が雪崩のごとくやってきます。
そんななかでも、人間関係のことについては、また別問題として、おやつは別腹のように私に課題をもってきます。

「風は追い風 私がどこを向くかだ」
という、ルミネの尾形真理さんのチョーーーかっちょいいキャッチコピー

そんな女になろうと。
でも、私の場合はこのちょークールな風の中にも、ほんのりとちょっと体温を乗せて、春のぽかぽか陽気をふんわりと、頭にお花が咲いた感じで風を吹かせて、こっちー!と、
あとは何か言われても、へー、それもいいねー!こっちー!って感じで、
向けたらいいなぁと、理想は高く、現実は荒波の中を吹き飛ばされながらで、傷だらけだけど、体にもすまんのぅといつも言い、さすってあげながらだな

で、元来持って生まれてきた、お世話好きの私の衝動

それはわかるよ、でも、全員にはできないし、して欲しいことを全部したい気持ちもわかるけど、わかるでしょ?いつもぶっ飛ばされてキズだらけになって、治癒力があるから、と治癒力に甘えっぱなしで、

そんなんじゃ、自分がダメになってしまうと、
だから、数を絞ろうと
じゃあ「どうやって」絞るか

「疲れ」を基準にしようと

疲れとはなんじゃそりゃですが、疲れと言うのは、私のエネルギーを吸い取るのか、強くするのか、

私は常にパワーをあげようと力を出す
それを、チカラにして上昇するものは、自分のジェットを持っているからそれで飛んでいける

けれど、自分のジェットを持ってない者は、私のジェットエネルギーを消す
「消える」から、もっとどんどん出す
火が付いたと思ったら消える、
火が付かないこともある、
で、消えてなくなる感じだ

消化活動にいそしんでる感じだ、
じゃあ、それが悪い事かと言ったら、そうでもない。
それは、その人の「選択」だからいいんだ

「じゃあ、なんで目の前に現れる?」って、疑問が私の中にうまれる、、、それが「意味がわからない」のだ
それなんだ!!

もっと居心地のいい場所に行くべきだ
消化活動は、エネルギーを消しているということは、現状から変わらないことを選択していて、私はそれもいいと思っているわけですよ、
何も、無理に変える必要はないと思ってらっしゃっても、それはそれでいいじゃないですか?

でも、私は「こんなんじゃ、やだ!」って思っている人です
こんなんじゃやだ!って思っている人もいてもいいじゃないですか?

わたしは、こんなんじゃやだ!って方向に向いている人なんです
で、お店をやっているんです

無関心・傍観するのも自由なんですが、傍観というのは、エネルギーを吸収する作業なんだってことが、なんとなくわかってきて、
それをやっている人は、無意識に消火活動しているという、ことに気が付いていないってことも分かったけど、それが悪い事だということも思っていないので、最高に太刀が悪い

じゃあ、なんで、それが「悪い事」なのかっていうと、

色んな方向に延びたいという光の方向にフタをしてどうぞって言っているような感じかな

無関心とか傍観ていうのは、エネルギーを持っていない状態と同じだから、ジェットのエネルギーを吸収するパワーを持っていて、
ブラックホールみたいで、

だから、無関心とか傍観な人は、無関心や傍観している人たちと居れば傷つけられることもないし、いやな思いをすることもないんだ!
だから、うちじゃない方がいいんんだ!!!

私は無駄に人を傷つけたくなんてなくて、傷つけたそのたびに悲しくなるし、つらくなる

私が考えていることに興味がなかったり、傍観や無関心のような人、その人たちが望むものを与えていた事もあって、そうすると、喜んだよ
感謝もされたし、生き生きしていた

でも、私が欲しいものは、それじゃないんだ
だから、自分が行きたい方向に行こうとした時に、否定された

そこには興味もないし、行きたかったら一人でいけばいいし、どうぞって傍観されるし、
吸収された上で、行くってのは、かなりのエネルギーを使うんだ

そのことに、気が付いていないんだ

自分で進まないものを動かすのもエネルギーがいって、なおかつ、自分も行きたい方向に進むって、想像も付かないのだろう

だから、自分と考えが一緒でも別でもどっちでもよくて、そんなの進んだ先にしか答えはないから、とにかく進ませないといけないのに、

答えなんかわからないだから、だったら「気持ちよく進ませた方」がいいのに

私の師匠はいつも私がやろうとした時、できるできないじゃなくて、心強くしたら何でもできる!ってまーーー不可能そうなことも私に力をくれてたし、全部だいたい「いいと思う!」って言ってくれてたから、ジェットで飛びやすかったんだなぁと思う

だから、私はこうしようと思うとか、行きたい方向の事を聞いたら、行け!ってジェットに火を付ける

なんかあったら、支えるしフォローもする
一緒に怒ったり泣いたり、体をさわったり、さすったり、きったない言葉使って暴言吐いて笑い飛ばしてあげる


















まず、一番優先なのは、こんな嵐の中を頭から突入していく私の事を心配して応援して、おぼれそうなときヒョイと手を出して助けてくれる人






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